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堕ちた元委員長  24  辞表を叩きつけた過去も

2009年11月28日

 当時のエピソードに、入社まもない矢野絢也に「矢野常務」のニックネームがついたとの逸話がある。同僚の証言によると、午前9時から午後5時までが会社の仕事、5時から10時までを同僚との麻雀、夜10時以降が教団の活動の時間とみなされていたようだ。
 当時、就職したばかりの矢野はそれなりに教団の活動にもまい進した。それでも、職場では社会人1年生の新入社員にすぎない。活動と仕事の両立は簡単ではなく、会社を休みがちになったこともあったようだ。
 1957(昭和32)年、教団は前年の参院選挙に続き、参院大阪地方区の補欠選挙に候補者を擁立した。入社2年目にすぎない矢野は、勤務態度の悪さを上司にとがめられた。同人は激しく逆上し、「ほな、辞めさしてもらいます」とたんかをきって辞表を提出してしまったという。
 「上役の言うのが当然、上役の言い分が正しい。社会的信用を保てない人間は、学会幹部として不適当だ」
 学会幹部にその足で謝ってくるように厳命された矢野は、会社に戻って上司にひたすら頭を下続けた。真摯な反省の態度にうたれたのか、会社の上司も謝罪を受け入れ、辞表は撤回された。
 それでも、矢野より2年遅れの1958(昭和33)年に大林組に入社した本田直吉は次のように綴っている。
 「昼休み時間になると、彼は必ず地下の宿直室で昼寝してしました。ところが1時を過ぎても起きてこないので、いつも2時ごろに起こしにいくのが私の役目でした。ことほどさように勤務態度の悪い人でした」
 このころから、要領のよさだけが目立っていたことを示すエピソードである。

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