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堕ちた元委員長  21  共産思想にかぶれる

2009年11月22日

 多感な年頃をすごしていた矢野絢也は、このころ社会の不条理を身にしみて感じたようだ。当時、京都大学は共産主義運動のメッカで、経済学部は特にその系統の学生が多かった。必然的に同人もそうした“洗礼”を受けることになった。
 「マルクス研究会みたいなところに所属したこともありましたから、共産党のシンパだったかもわからんけど、党員というわけじゃないですね。デモやカンパにも行きましたよ。しかし、学生同士の内ゲバがあるわけでなし、機動隊の規制があるわけでもなし、いわば古きよき時代の学生運動のなかの、当時としてはきわめてありふれたタイプじゃないですかね」(週刊プレイボーイ・70年4月28日号)
 日本共産党が2つの勢力に分裂し、時の政府を相手に火炎瓶闘争を行っていたころである。矢野には当時、学内の先輩に熱心な共産党員がいた。本人が「月刊現代」(95年2月号)の記事の中でこう語っている。
 「昭和26年中に、共産主義革命が起こるいうて、熱心に言う人でした。真面目な先輩やし、言われるまま党への資金カンパもしました。なんせ、そのころは貧しい日本でしたわ。親父が借金を作っていたんで、その関係で母親が働きづめに働いとるのを見てますしね、何で世の中こんなんやと」
 そのころ、京都に宮本顕治が来るとの話があった。学生相手の懇談会をするというので関心をもって足を運んでいる。矢野はこのときの宮本の話に共感を抱いたようだ。その後も共産党員と一緒に京都駅前で党への資金カンパを訴える街頭活動などに繰り出した。
 「何回かやりましたな。この時が、私がいちばん共産党に近かった時ですわ。昭和28年のことです」(同前)
 同人が大学3年生のときだ。共産党に愛想を尽かすような「事件」も起きた。雨の日、同じように駅前で街頭カンパを募り、集まった金を党のたまり場に運んだときのこと。その場にいた一人の幹部が京大生だった矢野に向かってこう述べた。「そこへ置いていけ」。若気のいたりか、反射的に答えた。
 「雨の中を濡れて帰って来とんねやないか、ご苦労さんの一言くらい、言うたらどうや」
 そこで激しい言い合いになり、共産主義革命の幻想と決別したらしい。
 「あのときに、『雨の中をご苦労さんやった。こっちへ来てお茶飲んで行き』言うてくれとったら、党に入ったでしょうね」(同前)
 奇しくも同人が教団と出会うのは、同じ年の9月のことである。

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