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堕ちた元委員長  20  貧乏のトラウマ   ※最新の裁判情報あり

2009年11月20日

 代議士に成り上がった矢野絢也が「ゼニゲバ男」に変質するのにさほど時間はかからなかった。その要因を振り返ると、同人の高校から大学時代にかけての多感な時代に、貧乏のどん底を味わったこととまんざら無関係ではないと思われる。同人の精神にぬぐいがたく染みついた「貧乏のトラウマ」に関していま少し続けたい。
 大学に入学したあとも、矢野家の窮乏生活は一向に変わることはなかった。当時、矢野は京都市内に下宿を間借りしていたらしいが、授業のない日は大阪の実家に舞い戻り、ファスナーの加工・販売の内職にあいかわらず精を出した。当時の京都大学は授業で出席をとらなかったのが何より有り難かったと、後年しみじみとした調子でこう語っている。
 「幸せを約束された資産家の家に嫁いだはずの母が、大変苦労し、頑張っていました。一人っ子の私が手伝わざるをえません。ファスナーの下請け仕事です。大学2年から3年生にかけて、私はファスナーづくりの技術工であり、配達係りであり、集金係りであり、また時には借金でかけずり廻ったことも幾度かありました」(月刊時事・73年8月号)
 このころの矢野家には、5歳年下の父方の従弟も同居し、夜遅くまでミシンを踏んで作業を支えていたようだ。従弟は父親を早くして亡くし、矢野家にとっては居候の身であった。一人息子で兄弟をもたない絢也からすれば、同じ釜の飯を食べた“事実上の兄弟”ともいうべき存在であり、後年、矢野が議員に転じた際には、私設の運転手として身近に雇われるなど、≪一心同体≫の関係として二人三脚ともいえる関係を続けてきた。矢野の意向を背負って、「原野商法詐欺」のために実際に動いたのも実はこの従弟である。
 矢野家にさらなる追い打ちが襲ったのは、まだ苦境のつづく大学3年の春ごろだった。生活不安の心労が重なったせいか、父親の重光が突然不眠症に陥り、重度のノイローゼにかかってしまった。さらに手におえない奇行なども目立ち始め、裸同然の姿で町を歩き回ったこともあったようだ。
 悪いことは続くもので、YKKがファスナーの大量生産に成功し、矢野家で行っていたような家庭内零細工業はますます苦境に立たされることになる。社会の不条理を一身に感じながらの学業と内職の両立生活だった。

■矢野絢也「完全敗訴」の母校寄付金詐取事件  高裁が和解勧告へ

 「財界にっぽん」の記事を矢野絢也が虚偽事実を記載されたとして執筆者や雑誌社を名誉棄損で訴え、一審で請求棄却されていた裁判で18日、東京高裁で控訴審の1回目の口頭弁論が開かれた。双方ともに書面を提出し、裁判長は「事柄の性質上、和解を勧告する」と述べ、次回から和解交渉が始まることになった。
 問題となった記事では、矢野絢也が母校の大阪府立山本高校の同窓会の理事長という立場を“悪用”して、同校テニスコートの補修代金として200万円を“詐取”した事実を指摘していたもので、一審判決では、記事内容の「真実性」を全面的に認め、矢野側の請求を退けていた。次回期日は12月半ばに設定された。

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