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堕ちた元委員長  17  資産家からどん底の幼少時代

2009年11月14日

 代議士初当選後、わずか5年後には“詐欺行為”に手を染めるようになった元政治家の人格はどのようにして形成されたのか。しばらくはその軌跡をたどってみることにする。
 矢野絢也がかつて週刊誌などに語った内容によると、矢野家のルーツをさかのぼると、祖先は愛媛の伊予大島あたりを拠点に瀬戸内海を跋扈していた海賊だったという。同人は「200年前の系図があるんですよ」(週刊サンケイ・77年5月19日号)などと語ったことがある。
 父方祖父の矢野貞平(1875−1936)が酒つくり業に失敗して大阪の地にやって来たのは、大正時代に入ってから。祖父は大阪の玉造というところで帽子屋を始める。当時は帽子が“文明開化”の象徴とされていたころで、貞平の事業は明治から大正期にかけて起きた帽子ブームに乗り、かなりの財をなした。矢野家は現在の大阪市東成区あたりに多くの土地や家屋を持つようになり、およそ100軒ほどの貸家収入がうまれた。地元では多額納税者として上位に名を連ねていたという。
 絢也の父親に当たる貞平の長男・重光(しげてる/1906−59)は、大阪府布施市(現在の東大阪市)に居を構え、資産を管理するだけで生活できるほどだった。
 一方、母親の菊枝(1910−2001)は河内の米屋の出身だった。この夫婦のもとに、絢也は1932(昭和7)年4月27日、矢野家の一人息子として誕生する。半月後には、時の犬養毅首相らが首相官邸で暗殺される5・15事件(テロ事件)も起きている。
 幼少期、絢也は大阪府東成区の神路小学校などに通った。本人が周囲に語ったところでは、「学校の行き帰りに、よその土地を通らなかった」というほど、矢野家は多くの土地を持っていた。物心ついたころ、同人は何不自由なく暮らすことのできる「お坊ちゃん」として、何の憂いもなく生活することができた。だが、こうした優雅な暮らしは長く続かなかった。“異変”の最大の要因となったのは戦争である。

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カテゴリー:コラム, 矢野絢也
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