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堕ちた元委員長  14  「書記長の会社」と従兄弟が口にしていた不動産会社

2009年10月29日

 1970(昭和45)年11月25日、北海道伊達市内の原野27筆を七和商事(旭川市)から購入したのは、名義上は矢野絢也の従兄弟(72)だった。それでも矢野本人のダミーとして購入した物件であることは間違いなかった。なぜなら、公明党書記長だった矢野は、自ら北海道選出の同党議員に働きかけて七和商事を紹介され、70年10月、党務で旭川市を訪れた際に同社を訪問した事実があるからだ。これらは原野商法詐欺に関連し、矢野本人を名誉棄損で訴えた原告弁護団の調査で判明したことである。
 上記の不動産売買は、矢野自身が七和商事を訪問した翌月になされていた。この段階で、従兄弟が同社を訪問した形跡はない。従兄弟が同社に立ち寄ったのは、同年12月頃のこととされている。時系列からいっても、不動産を購入できる資金を有する立場という意味からも、実態の取引相手は矢野絢也以外に考えられないのだ。理由はほかにもある。
 上記の名義人となった従兄弟の居住地は、購入月の70年11月時点において登記簿上、大阪府八尾市内におかれていた。その場所を調べてみると、当時、矢野絢也の後援会長を務めていたという地元有力者の経営する織物工場の敷地内だった。矢野の従兄弟と接点をもっていた人物は次のように回想する。
 「昭和49年ごろだったと思いますが、1年か2年、工場の敷地内にあった事務所の2階に従兄弟は住んでいました。といっても、ほとんどそこに住んでいたというわけではなく、月のうち何日か戻ってくるといった感じで、電気が点いていたら、家庭訪問するといった関係でした。当時、彼は男子部の副部長でしたが、なかなかつかまらないので、部長が嘆いていたのを覚えています。矢野絢也の親戚ということはわかっていましたので、あるときそんな話から、書記長がいくつかの会社に関わっており、その一つとして七和商事の話も出ていました。『七つの和』という表現が印象深くて、いまも記憶に残っているのです」
 証言してくれた男性の記憶によれば、矢野の従兄弟はしばらくすると、引越しを始めたという。つまり、実態として、そこに従兄弟が住所を置いていたことは間違いない。さらにその場所が、政治家・矢野絢也の後援会の責任者をする地元有力者の経営する織物工場の敷地内であったという「事実」も重要な意味をもつ。その地元有力者を便宜上、I氏としておくが、実はそのI氏も72年9月、北海道伊達市の原野775坪を七和商事の関連会社から購入していた。I氏は84年5月に他界し、現在、その家族らが織物会社の経営権を継承しているが、775坪の原野は家族には遺産相続されず、物故者の所有として残されたままだ。
 政治家・矢野絢也の“介入”なくして、同人の後援会幹部が同じ場所に広大な「原野」を購入するなど、ありえるはずもなかろう。矢野と詐欺商法の不動産会社がいかに密接な関係をもっていたかがよくわかる。
(写真は矢野の従兄弟が住所を置いていた八尾市内の工場敷地跡。現在は関係のない会社が使っている)

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カテゴリー:コラム, 矢野絢也
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