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堕ちた元委員長  12  母校の会計からもネコババ (下) 

2009年10月24日

 一審の東京地裁判決で記事の「真実性」を認められた矢野絢也の詐取疑惑――。この裁判では3人の証人と2人の本人(原告・被告)が証言席に座った。もっとも印象深いのは、矢野の元秘書を務め、問題となった小切手を受け取った調和産業という会社の代表職にあった人物の証言だった。仮にT氏(66)としておく。
 T氏は1967、8年ごろから矢野の秘書になった。T氏の結婚式の媒酌人を務めたのは矢野夫妻で、当時、党内では「書記長の仲人はお前が第一号やで」と言われたという。T氏は76(昭和51)年に一身上の都合で公明党を退職。同年、健康食品などで知られるナチュラルグループに入社し、52年には関連会社の調和産業の経営を任されるまでになった。
 証人尋問では、T氏は利益があがったときには、100万円単位の現金を矢野のもとに届けることが多かったと証言し、そうした関係は87(昭和62)年に同グループを退職するまで続いたという。金額も100万円から200万円くらいの幅で、年始のあいさつや選挙時の陣中見舞いなどに消えた。献金した総額はいくらくらいになるかと聞かれると、「1000万円前後くらいではないか」と答えている。
 問題は、山本高校のテニスコート改修費のために同窓会が拠出した200万円分の小切手が、工事を請け負った建設会社にではなく、当時、矢野と“一心同体”の関係にあったT氏の経営する調和産業に渡っていた点だった。同社は、建設関係の仕事は一切行っておらず、まるで畑の違う会社であったからだ。
 T氏は尋問のなかで、同窓会の小切手を換金したことについて、「ございます」とその事実をはっきり認め、寺田事務長を通じて受け取ったことを明らかにした。換金場所は東海銀行新大阪駅前支店である。
 その換金した200万円はどこへ消えたか。T氏はこの核心部分について、「事務長の寺田さんに支店まで取りに来ていただいて、(店舗を)出たところで持っていっていただいた。それはよくおぼえています」と、矢野事務所にそのまま渡した事実を証言している。T氏はこうした証言を行うに至った心境について、このまま黙っていると、200万円を自分がネコババしたと疑われかねないとその理由を説明した。
 東京地裁判決はこのT氏の証言について、「T証言は信用できるというべき」と認定し、「寺田は、原告(※矢野)の指示によって本件小切手をTに交付し、Tから受領した金員を原告に交付したことが推認できる。以上によれば、本件摘示事実は、その重要な部分について真実であることの証明があったと認められる」と指摘し、矢野絢也の請求を棄却した。
 矢野は、自分で事実無根と訴えておきながら、「記事内容は真実である」と裁判所に認定され、墓穴を掘ることになった。現在、審理は東京高裁へと場所を移し、続けられている。

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カテゴリー:コラム, 矢野絢也
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