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『福田君を殺して何になる』を読む

2009年10月12日

 光市母子殺害事件の元少年を実名で記した話題作『福田君を殺して何になる~光市母子殺害事件の陥穽』(増田美智子著、インシデンツ)を読んだ。少年法の規定により、弁護団が出版差し止めの仮処分申請を行い、13日に広島地裁で審尋が開かれる予定だ。差し止めが認められるかまだ未定で、書店では流通を止めているところもあれば、売り出したところもある。販売を始めた書店では、すぐに完売の運びとなった模様だ。
 すでに多くの識者が新聞報道などに付記する形でコメントを発している。ノンフィクション作家の佐野眞一氏は、「被告の言葉を得るのはイロハのイ。それをそのまま載せるのではなく、どう表現するか、だ」と述べ、「安易に一線を越えたとしか思えない」と手厳しい。さらにフリージャーナリストの奥野修司氏においては、「インタビューの結果を読者に放り投げている、レベルの低い本」と斬って捨てたようなコメントだ(いずれも10月8日付朝日新聞)。さらにノンフィクション作家の藤井誠二氏は、「実名を出さないと実像が伝わらないという説明に説得力が乏しい」(10月9日付朝日新聞)と指摘している。
 小生の感想は、20代の女性フリーライターが生活費に事欠くなかで、広島・山口への度重なる取材費を工面し、まじめに取材して書いた本というものだ。佐野氏や奥野氏が述べるように、手法がどうこうという問題は、「処女作」に挑戦した若い著者に浴びせるべき言葉ではないように私には思われる。読んでみれば感じ取れるが、著者は体当たりで多方面に突撃取材を行っている。組織に属さない「フリーライター」の名刺がこのような場面において、いかに“無力”であるか、筆者もその端くれの一人としてわかっているつもりだ。
 被告人本人に何度も接見を重ねただけでなく、周辺の関係者にも根気強く取材している。そこで受けた“門前払い”などの様子も、そのまま描かれているので、読み手としては、むしろ素直に読める印象がある。この上に著者の見解をこねくりまわされるより、ずっと自然であろう。
 元少年を、匿名でなく、あえて実名にした「理由」も、読んでみればある程度は納得のいくものだ。この本が仮に匿名で書かれていれば、元少年がリアルな実像をもって立ち上がりにくいことは明らかだからだ。
 匿名性の限界を克服するため、体当たりで取材を敢行し、人間関係のヒダの部分もそのまま表出した本書は、最後は死刑制度に対する深刻な投げかけをする。「終章」の取材の動機も、正直に書かれているように思える。まさに著者は、本書のタイトルの答えを追って、最後まで取材を続けることができたと理解できる。
 奥野氏の論評にあった「レベルの低い本」との指摘は、出版大資本の名刺を自由に使える彼らが、“無名”の若き同業者に投げつけるべき言葉ではなかろう。小生は著者の意気込みを買いたい立場だ。

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