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堕ちた元委員長  6  矢野絢也の詐欺行為(2) 

2009年10月11日

 年末の総選挙を乗り越えて3期目に突入した矢野は、1973(昭和48)年に入って原野商法をさらに活発化させた。この年の2月、大阪市北区にダミー会社・株式会社善興を設立。会社の目的欄には、「物品の販売および輸出入業」や「観光事業」などの項目とともに、当然ながら「不動産の売買、賃貸借及び管理業」が記されていた。会社設立時の役員は以下のとおりで、 矢野絢也の実母、妻、従兄弟などで占められていた。

 (取締役) 山本光男、矢野功、寺田宗功、矢野菊枝
 (代表取締役) 山本光男
 (監査役) 矢野満子

 この会社が、政治家・矢野絢也の実質的に経営するダミー会社であったことは以上の構成から明らかである。満子は矢野の配偶者であり、菊枝は実母だ。山本姓は、菊枝の旧姓である。会社設立からさらに約1年後、登記上の代表取締役は、矢野功に代わったようだ。
 善興は設立された翌月、北海道森町三岱(さんたい)に17万坪以上もの広大な「原野」を購入。それらを切り売りして、販売する戦略をたてた。このときも提携したのは、旭川市の例の不動産会社であり、双方で移転登記を繰り返すなど、極めて不自然な土地売買の痕跡を残している。
 当時、矢野絢也の“手足”として動いていた従兄弟の矢野功は、17万坪以上の原野を購入したのと同じ月の73年3月、七和商事の関連会社の役員に就任。すでに矢野ファミリーと七和商事は、切っても切れない関係になっていた。こうした関係は75(昭和50)年、七和商事の自社ビルが税務署に差し押さえられるなど、矢野功が関連会社の役員を降りるころまで続いたようだ。
 矢野絢也は72年までは旭川の不動産会社を使って“商売”を意図したものの、73年になると一転、自分たちのダミー会社を設立し、直接的な収益を得ようとした。だがその試みは大成功とまでは至らなかった。
 すでに「原野商法」という詐欺商法が、世間でも怪しいと見られ始めていた時期であり、現職の公明党書記長あるいはその親族が関わっていることが問題となるのは政治的なダメージが大きすぎた。そのためか撤退も早かったようだ。その後、矢野はすぐに別のサイドビジネスに手を突っ込むことになるが、それは後の話。
 繰り返しになるが、矢野は73年8月、東大阪市本町に鉄筋3階建ての豪邸をキャッシュで購入。さらに翌年の74年1月には、奈良県生駒市の宅地造成が見込まれていた土地(255坪)を大林組(=矢野の出身企業)から購入した。この土地は登記上は、キャッシュで買った形になっているので、“贈与”された可能性もある。
 いずれにせよ、矢野絢也が三重県賢島に別荘(土地・建物)を購入した72年7月から数えて、自宅の豪邸(土地・建物)を買った73年8月、奈良県の土地を買った74年1月と、すべて「2年以内」に行われている事実は極めて重要だ。これらの期間は、いずれも“土建屋政治家”と揶揄された田中角栄が首相に在任していた時期に収まるとともに、矢野が原野商法詐欺に間接的に関わっていた時期とそのまま重なっている。

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