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堕ちた元委員長  3  当選2期目で「裏商売」に手を染める

2009年10月5日

 矢野が大阪府議会議員(生野区選出)1期をへて衆院議員に転じたのは、1967(昭和42)年1月、公明党が初めて参議院から衆院にも立候補者を出し、一挙に25人を初当選させたときからである。同党は衆院にコマを進めたことで、それまで参議院主体であった党運営を、衆院重視の姿勢に転じ、初当選組の中から竹入義勝を第3代委員長に、それを補佐する書記長として矢野絢也に白羽の矢をたてた。
 通例、1期目はどの議員もそうであるように、ただがむしゃらに走ったはずだ。いまふりかえって問題行為が顕在化するのは、2期目に入ってからである。2度目の選挙は69(昭和44)年12月に行われ、このとき公明党は25議席から47議席へと、さらに“倍増”に近い議席拡大を果たす。この選挙の前後から、にわかに始まったのが、日本共産党を火付け役とする「言論出版妨害事件」の勃発だった。
 政治評論家・藤原弘達の著書『創価学会を斬る』の出版に際し、選挙妨害と感じた教団関係者などが書店などに圧力をかけたというもので、公明党の急拡大に焦った野党勢力が、一致結束して公明党叩きに走る構図となった事件である。このとき防戦に追われたのが、竹入・矢野らの党幹部であった。
 後日談もある。藤原の師匠筋にあたる社会評論家の大宅壮一は、藤原の著作について、選挙直前に出すという意図的なタイミングに加え、学生らを使った安易な著述姿勢を批判し、大宅と藤原は週刊誌上などで批判合戦を始めるハプニングも生まれた。
 ともあれ、この事件は70(昭和45)年の冒頭から、国会論戦などを舞台に急拡大し、教団側は5月3日に「政教分離宣言」を余儀なくされる。いま判明している限りでは、矢野の「暗躍」が始まるのはこの直後からだ。
 衆議院で47議席を占める政党のナンバー2となった矢野は、同年7月、北海道選出の同党代議士とともに札幌入りした際、その代議士にこう呼びかける。
 「不動産を扱っている北海道のいい会社はないか」
 その後、道内で手広く不動産業を営む七和商事(旭川市)を紹介されると、矢野は同年10月、早速その会社を自ら訪問。さらに11月には、従兄弟の名義で、伊達市の土地27筆(合計1760坪)を七和商事から購入する売買契約をかわした。土地の購入には結構な元手が必要だったはずだが、その後、73年に七和商事が買い戻し、転売された。矢野は相当の「差益」を手にしたと思われる。
 七和商事が土地を買い戻した73年といえば、矢野が「原野商法」という詐欺商法に力を入れ始めるまさにその時期で、70年当時の伊達市の不動産購入はその“伏線”ともいうべき商行為だった。
 いずれにせよ、この時点で、矢野絢也は公明党書記長の顔とともに、「議員バッジを付けた商売人」としての活動を顕在化させたことになる。国会の赤じゅうたんを踏んで4年もたたないうちに、わずか2期目にして、「大衆とともに」の立党精神は形骸化し始めたことがうかがえる。
 それは支持者を裏切る、あまりにも早い“変節”だったといえよう。

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