ホーム > コラム, 日本会議 > 「日本会議」型政治の終焉

「日本会議」型政治の終焉

2009年9月13日

 極右・右派勢力を統合した組織「日本会議」が前身組織の2つを統合して結成されたのは97年5月のことである。同月、議員連盟の「日本会議・国会議員懇談会」もつくられ、会長に島村宜伸、幹事長に平沼赳夫が就任した。発足当初は超党派で184人の国会議員が参加し、呼びかけ人14人のなかには次の総理になる小渕恵三も含まれていた(当時は橋本政権)。
 母体の日本会議の初代会長は、ワコールの塚本幸一会長で、同氏が1年後に死去すると、2代会長は日商の稲葉興作会頭へバトンタッチ(2000年6月就任)、さらに一年後に退任すると、3代目に三好達・前最高裁長官が就任し、現在に至る。
 議員連盟のほうは、議連の2代会長を麻生太郎がつとめ、現在の3代目会長は平沼赳夫という流れだ。
 今日付の産経は1面トップで、安倍内閣時代に導入決定された教員免許更新制度について、民主党が来年の通常国会で廃止する考えを党幹部が示したことを報じている。
 日本会議勢力が最も期待した安倍内閣が期待外れで終わったことはいまとなっては明白だが、それでも教育基本法を改悪するという「成果」を生んだ。さらに教育分野に手を突っ込んでかき回した一つが、上記の指導力不足の教員排除を目的とする措置で、現場の実態をまったく無視した“机上の変革”であった。
 教員は10年ごとに計30時間の講習を受け、認定試験で不合格になれば、2年以内に再試験を受けないと教員免許を失効する。この制度の背景には、教員の資質は、ペーパー試験などの簡単な実技ですべて測れるという現場を知らない者に特有の「驕り」と「無知」があり、ただでさえ時間のゆとりのない教職員に余計な負担をかけ、逆に子どもたちと接する機会を減らしてしまいかねないと危惧する声が強かった。こうした措置のバックボーンにあるのは、国家主義的発想であり、戦前の教育勅語に復帰するための管理主義的な考え方だ。
 もともと日本会議を底流で支えるのは、佛所護念会や統一協会、生長の家などの「宗教右翼」御三家をはじめ、戦前の国家神道の流れをくむ神社本庁などであり、靖国神社に戦争犠牲者の霊が眠るという“フィクション” をいまも維持しなければ存在意義にかかわる人々である。自衛隊の元空幕長の「田母神俊雄」や、事実に基づかない歴史観さえ平然と主張することのある「櫻井よしこ」なども、所詮は、彼らの代弁者にすぎない。
 そんな勢力を、経営維持のためとはいえ全面的にバックアップし、意図的な世論形成を図ってきたのが「産経新聞」であり、このほど首都圏型メディアを脱皮し、新たに九州方面などにも進出するらしい。

広告
カテゴリー:コラム, 日本会議
%d人のブロガーが「いいね」をつけました。