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判決文すら読めない「恐喝右翼」に頼る東村山の“狂言男”「矢野穂積」

2009年7月25日

 正真正銘のカルト教団・統一教会から資金援助を受けていると指摘され、昨日も「おまえたち朝鮮インチキ右翼は朝鮮に帰れ」(コシミズ某)などと罵られているにもかかわらず、なんら有効な反論をなしえず、放置し、事実上“黙認”する形となっている恐喝右翼「瀬戸某」が自身のブログ上でまたまた恥をさらしている。
 7月3日に東村山デマ事件を事実上、終結させるような判決が最高裁で確定したことは本サイトでもお伝えしたが、7月14日にさらに別の最高裁判決が確定し、判断内容は3日のそれとは逆のものとなっており、「おれたちが勝った勝った」と騒いでいるようなのだ。
 さらに7月14日の最高裁判断が3日のものより迅速に下されたからより価値があるとか、14日のものが後に出たから、重要な判決であるとか、およそ≪裁判の素人≫としか思えない記述も散見される。裁判はたとえ表面上は逆の結果が出たように見えても、判決文を読んでみればその意図は明らかであり、その意味では判断内容のほうが重要な意味をもつことが多い。この御仁にはそれらを読み解く力がそもそも欠けているようだ。
 繰り返しになるが、3日に最高裁で確定した高裁判決では、矢野穂積らが従来から唱えてきた女性市議の他殺説、さらには自殺の根拠と判断された万引き事件は冤罪であったという彼らの主張の「真実性」「相当性」のすべてが排斥された。具体的には以下のような結果であった。
 「本件転落死が殺人事件であると認めることは到底できず、他にこれを認めるに足りる証拠はない」
 「明代が万引きをしていないと認めることはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない」
 繰り返すが、これらはいずれも「真実性」に関する判断である。
 これに対し、14日の判決は意味合いがまったく異なる。この裁判はもともと、矢野穂積らが出版した『東村山の闇』という書籍が名誉棄損として訴えられていた事案だが、高裁判決では「全体として意見ないし論評の表明にあたる」と認定した上で、「相当性」を認めたものにすぎない。「真実性」についてはなんら判断していないのである。
 重要なことは、矢野の主張内容の「真実性」を認めたわけではまったくないということだ。そもそも「真実性」の証明など、まったくなされてさえいない。
 その意味では、3日の判断結果と比べ、その重み、判断の深さはまったく異なる。その判断は、3日のほうが本質に迫っていることは明白だ。このことは、判決文を読み込むことができる者には自明のものといえよう。
 だからこそ、矢野穂積は14日の最高裁の勝訴判決を早い段階から得ていたにもかかわらず、確定から10日もたった24日になってやっとホームページ上に載せるしかなかったのである。そうでなければもっと早い段階から「勝った勝った」とはしゃいでいたはずだ。そうではなく、判決文を読めない右翼を使って大々的に書かせるところをみると、“訴訟マニア”の矢野は、14日の判決の重みの軽さ(3日の判決に比べた相対的比較)をよく理解している証左とさえいえよう。
 判決内容をきちんと精査する能力もなく、事実をねじまげても「自説」を主張するしかないあわれな「朝鮮インチキ右翼」(コシミズ某)たち。「朝鮮に帰って、金正日の尻でも舐めていろ」(同)と昨日も罵倒されていたにもかかわらず、肝心の統一教会からの資金提供疑惑については、何ら有効な反論すらできず、逆に上記のような≪でまかせ≫を使って話をそらすしかなくなっている。
 仮にコシミズの指摘が事実なら、瀬戸一派は多くの庶民を騙して金を集めてきた典型的詐欺集団の「韓国カルト」から資金提供を受けつつ、その事実を隠し、日本の教団に目をつけて、確たる理由もなく逆に「カルト」と難癖をつけている集団ということになる。さらに“狂言男”の矢野はそんな連中に支えられていることになる。

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