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瀬戸某に「朝鮮半島」の血が流れているこれだけの「理由」(下)

2009年7月16日

 「極右」を称していても、天皇の言葉は頭にはさっぱり入っていないらしい。それが瀬戸某なる、ただ“目立ちたいだけの右翼”の現状である。同人は自分のブログ上で「朝鮮民族の血など一滴も流れておりません。それこそ貴方の妄想に過ぎません」などと書いているが、日本の古代国家の成り立ちから考えれば、そんなことは絶対に言えないし、さらに証明することさえもできないだろう。言葉をより正確にすれば、「朝鮮民族も日本民族も、極めて似通った血が流れている」というべきものかもしれないが、基本的には同じことだ。
 下記の今上天皇の発言に示されているように、桓武天皇に渡来人の血が混じっていたのは、歴史的には有名な話で、当時、側近たちも渡来人の系列を重用したことが知られている。桓武天皇は京都に遷都した天皇として知られる。そうした半島と日本の結びつきを知悉している現在の天皇は、物事を正確にとらえ、下記のような発言をされたと思われる。
 だが一方で、極右を称する者たちの頭のなかには、天皇家とはまったく違った「思惑」が存在するようだ。天皇は近代以降の両者の関係について反省の気持ちをもち、長年の友好関係に立ち戻るべきと考えていることは明らかだが、極右勢力はそのような思いをまったく尊重せず、自分勝手に排外主義を掲げて、ゴキブリのように動き回っている。
 これ以上小生が彼らに関わることは、自分たちは有名になればそれでいいと考えている彼らを利するだけなので、今後は控えたいと思っているが、彼らの「存在」そのものが“自己矛盾の塊”にすぎないのだ。
 彼らは天皇家に対しても、係争中の女性やその弁護士に投げかけたような侮蔑的態度をとることができるのだろうか。私はこうした手合いこそ、日本民族のなかで、最も“ちっぽけな日本人”であると感じている。

■ 今上天皇の発言(2001年12月23日の68歳の誕生日に先立って行われた記者会見)

 日本と韓国との人々の間には、古くから深い交流があったことは、日本書紀などに詳しく記されています。韓国から移住した人々や招へいされた人々によって様々な文化や技術が伝えられました。宮内庁楽部の楽師の中には、当時の移住者の子孫で、代々楽師を務め、いまも折々に雅楽を演奏している人があります。
 こうした文化や技術が日本の人々の熱意と韓国の人々の友好的態度によって日本にもたらされたことは幸いなことだったと思います。日本のその後の発展に大きく寄与したことと思っています。
 私自身としては、桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると続日本紀に記されていることに韓国とのゆかりを感じています。武寧王は日本との関係が深く、このとき日本に五経博士が代々日本に招へいされるようになりました。また、武寧王の子、聖明王は、日本に仏教を伝えたことで知られております。
 しかし、残念なことに、韓国との交流は、このような交流ばかりではありませんでした。このことを、私どもは忘れてはならないと思います。(2001年12月23日付、朝日新聞)

※本サイトは「柳原滋雄」個人が運営するサイトであり、そこで表明される意見・事実摘示の責任はすべて本人が個人的に負うべきものであり、いかなる組織・団体とも無関係です。念のため。(Y)

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