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「エセ右翼」の主張は「戦争」に至る道

2009年7月1日

 街宣をかけて嫌がらせ行為を行い、自分たちの存在を世に知らしめる。そうした行動を繰り返している瀬戸某一派の主張は、突き詰めると、日本には日本民族なる単一民族が存在し、それらは韓・朝鮮民族などより優れており、そうした異分子は日本に居住させるべきでないという極端な「排外主義」に貫かれている。自分たちの民族が他民族より優位であるとする主張は、多様な文化を否定し、不必要な摩擦を生み、結局は戦争に至る道となる。最終的に多くの損失を蒙るのは双方の国民であり、いつか来た道でしかない。
 彼らの主張で際立っているのは、多くが「事実」に立脚していないという顕著な特徴であろう。対馬が危ないなどとする主張もその典型的な一つで、結局のところ、事実的根拠はほとんどといっていいほど存在しない。事実のないところに、わざわざ煙を立てて 「自作自演」しているといっても言い過ぎではない。
 何より彼らの排外的主張によっていちばん困るのは、対馬自身であることを忘れてはならない。地勢的な面からも、日韓が友好的関係を保ってこそ、この島の平和は成り立つ。
 特殊なチンピラ右翼の言っていることと一笑に付すことはたやすい。問題はこうした風潮がわが国で広がりつつあることだ。『嫌韓流』といった漫画が売れているのもそうした風潮の反映と思われる。同シリーズの4を読んだが、そこには在日韓国・朝鮮人への悪口がたくさん書いてある。一方で重要な事実は、わざとネグられていたりする。なぜ在日コリアンが日本に存在するのかといった歴史的背景は、意図的にか、ほとんどまったく書かれていない。
 一方で、在日コリアンが戦前・戦中に強制連行で連れてこられたという俗説などが呈示され、そうした俗説を誤りだといって在日の人々を攻撃してみせる。そんなことは最初からわかりきっている話だろう。終戦後、強制連行で来た人たちはほとんどが帰国し、残ったのはそれ以外の人たちだ。それでも、日本の植民地政策さえなければ、日本にいなかった人たちであることは間違いない。日本国の「結果責任」は明確に存在するものの、『嫌韓流』ではそうした根本的な前提が、意図的にか描かれていない。つまり読者が目にするのは、結局のところ「真実の物語」ではなく、都合のいい「フィクション」なのである。
 いずれも、わが国の教育行政が「正しい歴史」を教えてこなかった結果生じている問題と感じられてならない。その意味では、『嫌韓流』は、文部行政の“すき間産業”にほかならない。
 いま外国人地方参政権に反対している人たちは、自分たちが日本国家に「害」をなしている存在であることを認識していない。
 将来、日本経済が中国に抜かれ、日本人が中国に“出稼ぎ”に行かなければならなくなったとき、我々の子や孫たちが同じような「差別的言辞」を受けたとしたらどうだろうか。彼らは、「身の移し変え」という想像をできない人たちである。

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