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矢野絢也の素顔  54  自宅から運び出された2億円

2009年6月14日

 矢野絢也が時価8億円といわれた新宿区二十騎町の豪邸の一室で、明電工の専務らに対し、1000万円の札束20個を直接手渡したのは、同人が公明党委員長に就任してわずか半年後の1987(昭和62)年5月27日のことである。明電工関連株を購入するためのいわくつきのカネで、受け取りにいったのは計2人であった。
 この事件はそれから一年半ののち、朝日新聞によってスクープされ、矢野の引責辞任の “引き金”へつながっていった。当初、あわてふためいた矢野はこの疑惑を全面否定するため、翌日には朝日新聞社の社長と編集局長を名誉棄損罪で刑事告訴し、潔白のポーズをとってみせた。ところがそれから2日後に行われた記者会見では、それまで全面否定していた事実を大幅に修正し、2億円自体を手渡した事実は認め、さらにそれが元秘書の融資を自宅で仲介したものといった不可解な内容に“変遷”をとげた。その結果、さらに疑惑を深めることにつながったのである。
 言い逃れできる場合はいくらでもやる。言い逃れができなくなると見るや、主張を都合よく変遷させる。矢野の「特性」がいかんなく発揮されたのが、この事件であったといってよい。
 さらに姑息なのは、朝日新聞社に関する刑事告訴を、翌年3月までにこっそりと取り下げていた事実である。「真実」の前には勝利できないと悟った結果の行動と思われる。こうした政党トップの訳の分からない“迷走行動”によって、当時、公明党は結党以来の危機に陥った。矢野ひとりの金銭への異常執着が、同党の党勢をずたずたにしてしまったのである。
 矢野は増資株という、必ず値上がりする株売買のために国会会期末という超多忙な日をわざわざ選び、自宅で2億円を業者に手渡した。それが発覚すると知るや、事実そのものを全面否定し、さらに言い逃れできないと見るや、配下の元秘書をダシに使ってさらなる「虚構」をでっち上げた。
 どこまでいっても「ウソまみれ」の人間にすぎなかった。

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カテゴリー:コラム
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