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矢野絢也の素顔  46  原野商法のルーツより早く「詐欺行為」に暗躍

2009年5月19日

2009/05/19(Tue)
 1973(昭和48)年5月、大阪市天王寺区に「大隆」という名の株式会社が設立された。登記簿の目的欄には、不動産売買、不動産仲介業、宅地造成業などの文字が並ぶ。代表取締役の広瀬某はその後、全国で多数の「原野商法」の被害者を出した関西地域における同商法の草分け的人物として知られ、関西方面に約100社もの原野商法会社を生み出した同商法の“元祖”と呼ばれた男である。そのため「大隆」は原野商法のルーツとなった不動産会社として位置づけられている。
 だが、関西地域を拠点にした詐欺商法のルーツとされるこの会社が設立される以前から、「原野商法」に熱心に取り組んだ会社がある。当時、公明党書記長の立場にあった矢野絢也のダミー会社「善興」が大阪市北区で設立されたのは、これより3カ月早い73年2月のことだった。
 それから数えて16年後の1989年、ルーツ会社の社長であった広瀬某は詐欺罪で逮捕・起訴され、懲役4年の実刑判決を受けた。さらに出所後も同様の詐欺行為を繰り返し、99年にまたも詐欺罪で逮捕され、懲役7年の実刑判決を受ける。マルチ商法などと同じく、悪徳商法は一度うまみを知ると、そこからなかなか抜け出せない世界のようである。
 一方、矢野のダミー会社「善興」による詐欺商法は、主に75年ころまでにかけて行われた。彼らがその後も引き続き同様の詐欺行為を続けていれば、上記の広瀬某と同じく、詐欺罪で逮捕・起訴されていたことは間違いない。「善興」が摘発を免れた理由は簡単明瞭で、彼らの逃げ足が速かったことに尽きる。おこなった犯罪行為の内容は、大隆とまったく同じものにすぎなかったからだ。
 もしそうなっていれば、善興の社長であった矢野のいとこは詐欺罪で逮捕・立件され、実刑判決を受けていたはずである。さらに陰でこれらの詐欺商法を支えていた現職政治家・矢野絢也も、政治的に大きなダメージを受けたことは間違いない。その意味では、彼らは「危ない橋」を渡ったのだった。
 それでも矢野絢也の生涯を振り返ると、このときの詐欺行為は、別に突出して不思議な行為ともいえなかった。矢野は公明党のトップにいた時代も、国会最終日の多忙な一日の隙間をぬって自宅にトンボ帰りし、1000万円の札束20個を業者に手渡し、不明朗な株取引による「蓄財」のために時間を費やす有り様だった。議員引退後も、金儲けのためなら「詐欺師」らとも平然と付き合ってきた。結局、矢野の信仰対象は聖徳太子や福沢諭吉であって、それ以外のものではなかったように見える。

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