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矢野絢也の素顔  45  13票差の落選もたらした現職委員長の不祥事

2009年5月17日

 ちょうど20年前の今日、矢野絢也は第4代公明党委員長の職を辞任した。委員長としてわずか2年半の在任期間だった。この日の午前、党本部2階の会議室で辞任の記者会見を行い、翌日、後任に石田幸四郎が内定した。矢野の辞任理由は、支持者らからの「このままでは選挙を戦えない」との声に抗しきれなかったからだ。1989年のこの年は、都議会選挙と参院選挙を間近に控えていた。矢野は前年の後半から、明電工という会社にからむ不透明な株取引をめぐって新聞ざたになっていた。その意味では、今回の民主党代表の辞任・新代表の選出劇とも、構図は似通っている。
 小沢一郎前代表の場合も、「このままでは選挙で勝てない」との党内世論に抗しきれなかったとされる。さらに「一点もやましいところはない」として、辞任理由が西松献金事件とは無関係ということをことさらに強調してみせた。このときの矢野も、自らの明電工疑惑とは別に、党内の不祥事を主な理由に掲げ、自身の金銭疑惑からの責任回避の姿勢を鮮明にしていた。
 そうして矢野の5月17日の辞任劇からわずか2ヵ月もたたない7月1日に行われた都議会選挙では、委員長自身のスキャンダルという「結党以来、最大のピンチ」(党関係者)を迎えたことにより、公明党は28人の候補者を擁立しながら、2人の現職議員を落選させてしまう。定数4の渋谷区で13票差の次点に泣き、同じく定数4の目黒区でも約1000票差で次点となった。以来、渋谷区で候補者擁立は困難となり、目黒区が常に超激戦区と位置づけられているのも、こうした経緯と無関係でない。
 さらに同じ月の7月23日に行われた参議院選挙では、比例代表の全国得票総数は前回選挙時の743万票から609万票へと大きく落ち込んだ。ここでも党勢の衰退ぶりは明らかだった。要するに、党委員長自身の不祥事が、都議会や参院公明党の党勢衰退に拍車をかける形となったのである。これらの責任を矢野本人はいったいどう考えているのだろうか。
 いみじくもジャーナリストの溝口敦が最近も指摘していたように、矢野絢也はまさしく「カネに汚れて弱みをもつ政治家」にほかならなかった。

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