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早川新潮は「裏づけ取材の否定」にすぎない

2009年5月14日

 メディア批評の月刊誌「創」が「危ない! 雑誌ジャーナリズム」と題する特集を行っている。週刊新潮虚報事件について執筆している元木昌彦氏が自身の記事のなかで、「『週刊現代』も20万部を切るかどうかまで落ち込み、『週刊大衆』に抜かれているかもしれないというのがもっぱらの噂」と記していた。週刊大衆の部数は、最新の2008年下半期で20万4301部。同年上半期で21万0622部だから、それより低いということはかなり深刻な数字だ。最近の「週刊現代」は手にとる限り、「あしたのジョー」をはじめ3本もの連載漫画を掲載するなど、週刊誌というより、漫画本に近い趣向となっている。同誌の元編集長が自分で書いているのだから、信用できる話だろう。
 話は変わるが、「週刊新潮」次長をつとめたジャーナリストの亀井淳氏が10日、肺がんのため死去した。最後の原稿となったのは、自身が代表委員をつとめていた日本ジャーナリスト会議の機関紙「ジャーナリスト」(4月25日号)に掲載された週刊新潮問題だった。この記事のなかで、早川前編集長の謝罪手記について、「新潮編集長の手記には『週刊誌の使命は、真偽がはっきりしない段階にある「事象」や「疑惑」にまで踏み込んで報道することにある』と断定的に述べている。だれかが何か言った、中身を検証しなくても、言ったという事実を報道するのは正しいという立場で、これは裏付け取材の否定であり、週刊誌全体を馬鹿にした態度だ」と指摘していた。正論であろう。
 上記の「創」特集で、ノンフィクションライターの魚住昭氏は、新潮は「少なくともアジトを特定しなきゃダメですよ」と書いていた。朝日襲撃実行犯(自称)が語ったアジトのことを指している。新潮はそんな確認すらしないで4回の手記に仕立てあげた。そうした罪責を認めず、肝心の説明を回避して開き直った早川清氏の姿勢は、小沢一郎・前代表の言動にも重なって見える。

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カテゴリー:コラム, 新潮社
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