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矢野絢也の素顔  39  “逃げ足”速かった矢野という名の「詐欺ファミリー」

2009年5月5日

 「原野商法」詐欺が初めて世間に認識されるようになったのは、日本列島改造論に乗った昭和40年代後半とされている。北海道のただ同然の山林や沼地などを登記上、細分化して分筆し、それらを時価の数百倍以上の値段で売りさばいた。詐欺集団は北海道の土地が少なくなると、舞台を東北などの本州へ移し、同様の行為を継続していった。
 これらは一般に原野商法による「第一次被害」といわれている。被害者は騙されたことを知っても「いつかきっと値上がりするにちがいない」「登記上は自分の土地になっている」などの心理を持つかたわら、だれにも転売できず、追い込まれた心境になっていった。そのため、詐欺集団側は「一次被害」の拡大が見込まれなくなると、被害者リストをもとに「北海道の土地を買いたいという人がいます」「転売するには、測量代が必要です」などと働きかけ、さらに「二次被害」を仕掛けた。
 捜査当局がこれらを本腰をあげて詐欺罪などで逮捕・起訴するようになったのは、この二次被害からといわれている。一次被害の時期はまだ摘発されることはまれであったようだ。原野商法の首謀者は、いずれも懲役3~6年の実刑判決を受けることが多くなった。
 大阪市で1973(昭和48)年2月8日に設立された矢野絢也のダミー会社「善興」は同年3月27日、北海道森町三岱に42ヘクタールの広大な「原野」を購入した。それらは最終的に「213」もの土地に分筆され、被害者などに売りさばかれていった。
 不思議なことは土地購入は3月27日となっていながら、東京相互銀行渋谷支店による根抵当権の設定は同年1月30日になっていることである。善興はこの年、冒頭からこの「詐欺商法」に意欲満々だったということだろうか。
 最終的に「213」にも細分化された土地は、多くが73年から74年にかけて「転売」された。転売先には詐欺商法の提携先であった七和商事やその関連会社あるいは役員の名も頻繁に顔を見せる。そうして矢野ファミリーは、一時的に膨大な収益を得て、この商法から「逃げて」いったようだ。
 危ないとみるや、すぐにその危険を回避する姿は、高速道路エリアの飲食店経営利権に入り込もうとしてすぐに逃げ出したのとまったく同じである。だが、“土地の履歴書”ともいえる登記簿には、矢野絢也のダミー会社による「詐欺商法」の証拠は厳然と残されたままだ。
 細分化されて売られた土地は、ただ同然の土地であり、購入者がすでに死去しているにもかかわらず、相続登記もなされず、そのままになっているケースも多いようだ。将来、これらの土地がなんらかの理由で開発されることになったとしても、所有者が全国にちらばり、どこに住んでいるかもわからない状況では、行政側は多くの苦労を背負いこむことになる。すでに同じ北海道の湿原などでは同様の事態が発生していると報じられている。
 矢野絢也が原野商法に手を染めた「詐欺師」と繰り返し指摘されても一向に訴えることができないのは、これらの指摘が「真実」であることの何よりの証明である。

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