ホーム > コラム, 矢野絢也 > 矢野絢也の素顔  36  「2億円」を渡した日

矢野絢也の素顔  36  「2億円」を渡した日

2009年4月28日

2009/04/28(Tue)
 問題となった1987年5月27日、公明党委員長の矢野絢也は「時価8億円」とうたわれた新宿二十騎町の自宅で明電工の専務に1000万円の札束20個を直接手渡した。
 実はこの日は通常国会の会期末に当たっており、朝からあわただしい一日だったという。党委員長の矢野にとっても日程は朝からビッシリで、その様子は翌日(28日)付の公明新聞に掲載された「ドキュメント108国会最終日」という記事からもうかがえる。それによると、昼前後の矢野の日程は次のようになっていた。
 11:30 衆院控室で矢野を中心に党訪中団同行記者団と懇談
 12:30 衆参両院議員総会で挨拶
 12:50 代議士会
 13:00 衆院本会議
 13:16 控室に首相が挨拶に
 13:21 衆院議長が挨拶に
 13:25 党控室で記者団にお礼
 この日の昼すぎ、矢野は国会をこっそり抜け出し、自宅へ車を走らせる。あらかじめ用意していた札束を、自宅で相手に渡すためである。そのカネを使って、絶対に値上がりする株を購入し、“儲ける”のが目的であった。公党の委員長が、自らの私利私欲のため、公務の合い間をぬって、こんなことをやっていたのである。しかも委員長就任からわずか半年後のことだった。
 このときの現金授受問題が、それから1年半後に世の明るみとなり、委員長職をなげうつことにつながっていく。悪いことはできないものである。
 このときの金銭授受について、「矢野本人の株取引」との複数の関係者の証言が存在しながら、矢野は途中で供述を公然と変転させた。秘書の取引のために代理でカネを渡したなどと、ヌケヌケと虚言を並べたからである。公党の委員長が、「元」秘書の私的な金儲けのために、国会最終日の多忙のなかをわざわざ一人で抜け出して、自宅に舞い戻ったなどと主張したのである。いま振り返ると、キチガイ沙汰の行動・言い訳としかいいようがなかった。
 結局は自らの「卑しい行為」を糊塗するための“空しい弁明”にすぎなかった。腐ったリンゴはこのときすでに、どこまでも腐りきっていた。いったん芯まで腐りきった果物は、その後、周りがどのように努力しても元に戻ることはなかったといえよう。

広告
カテゴリー:コラム, 矢野絢也
%d人のブロガーが「いいね」をつけました。