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矢野絢也の素顔  35  「株」と「土地」を使った錬金術

2009年4月26日

 読売新聞記者が矢野絢也の半生を綴った『矢野絢也・全人像』 (1981年)に書かれなかったことで、付け加えなければいけない2つの事柄は、矢野が党委員長辞任のきっかけとなった「明電工疑惑」であり、さらに支持者にはただ同然の原野を売りつけ、多額の金銭をファミリーのポケットに入れた「詐欺事件」についてであろう。要するに、「株」と「土地」を使った錬金術であり、その根底には、同人特有の根強い“拝金主義”が横たわっている。
 矢野の政治家としての人生をたどると、この「株」と「土地」の問題が終生、同人から離れることがないことに気づかされるだろう。
 「株」については、最初に就職した大林組において会社の増資の仕事を担当するなど、業務上、株式売買に関わったことが最初だったとされる。さらに「土地」については、同人が幼少のころ、一家が現在の大阪市の東成区・生野区に広範な土地・建物を所有し、小学校に通うのに自分の家の土地しか通らなかったという逸話が残るほどの「土地持ち」だった。それが空襲と戦後の経済改革でほとんどを失い、貧乏のどん底に落ちたころから、同人の窮乏生活が始まっている。
 最も経済的に苦しかったのは、高校時代後半から大学生活までといい、大学生のときも学業を最小限にして、家計を助けるためにアルバイトに精を出す毎日だった。そのころ矢野家に同居していたのが、後年、原野商法のための会社「善興」を経営する5歳年下の従兄弟で、その意味では一人っ子の矢野本人とは“事実上の兄弟関係”といってよい。その従兄弟は、原野商法の仕事の過程で、すでに代議士になっていた矢野のアドバイスを逐一、公衆電話から求めていたとの証言がある。
 矢野は大学時代、日本共産党の活動にも参画した。創価学会に出会うのは、それ以降の話だ。
 矢野絢也の人生を語る上で避けて通れない2つのテーマ、「明電工事件」と「原野商法」は、言葉を変えればそのまま、「蓄財」と「詐欺」とに言い換えられる。結局、同人の人生は、「カネ」との関係に集約される。政党幹部あるいは宗教人のふりをしながら、「私益」に翻弄されてきた人生と言ってよい。

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カテゴリー:矢野絢也
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