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矢野絢也の素顔  34  「シラは切れるだけ切れ」という人生哲学

2009年4月24日

2009/04/24(Fri)
 「1989年という年は、竹下登、矢野絢也、塚本三郎という与野党3党首が汚濁にまみれ、辞任に追い込まれるという、戦後政治史上、例をみない不祥事が起こった年としてしっかり記憶にとどめる必要がある」(『株と政治家たちの饗宴』1990年)
 自著の中でこう書いたのは、のちに赤旗編集局長をつとめる関口孝夫である。この年はリクルート事件や明電工事件の影響で、与野党のトップが相次いで引責辞任した。以来20年——。矢野絢也は当時、株売買をめぐる不明朗な疑惑をとりざたされた。
 矢野が仕手株売買をめぐり自宅で2億円を明電工関係者に手渡したことが明らかになると、同人は当初一切の疑惑を否定した。さらに逃げ切れないと悟るや、一転、元秘書への融資を「仲介した」と弁明に転じた。もちろん真っ赤なウソである。悪質政治家は都合が悪くなると、すべて秘書のせいにするのはよく見られる光景だが、その最たる例の一つといえよう。
 矢野は融資の仲介と主張しながら、最後までその契約書を明らかにすることもできなかった。2億円の現金が動いたにもかかわらず、「契約書を交わしていない」との矢野側の主張は、明らかに虚偽にほかならなかった。しかもその融資で行ったとされる株売買における株の名義は、秘書の名前ではなく、明電工関連の企業名であった。もともとその秘書と明電工関係者に直接の接点はなかった。
 当時、公党の委員長であった矢野絢也は、かつての秘書への利益供与のためにわざわざ自分の家を使って2億円を代理となって引き渡したのだという。だがその日、矢野の公務はびっしりとつまっており、矢野にとってはあわただしい国会日程をかいくぐって新宿の自宅にとんぼ返りした計算になる。しかも当の元秘書のほうの都合が悪く、秘書自身はその場に同席しなかったという。
 こうしたあからさまな≪虚偽≫を踏まえ、赤旗記者の関口は、上記の書物で次のように記している。
 「明電工疑惑をめぐる矢野問題は、仕手株取引そのもの以上に、真実にたいする態度はどうあるべきかという政治家の資質の根本にかかわる問題を投げかけた、といえる」
 「『シラは切れるだけ切れ、ばれてもともと』といった、騙し、騙されるは人間として当たり前とする人間不信を前提とした、真実を自ら積極的に明らかにしようという姿勢とはほど遠い、処世術を見せ付けられた」
 これが矢野絢也という政治家を象徴する、歴史に刻印された出来事にほかならなかった。「シラは切れるだけ切れ」という同人の人生哲学は、いまもなんら変わっていないようだ。

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