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「重箱の隅」しか突つけない「妙観講」一派

2009年4月19日

 日蓮正宗・前法主の阿部日顕の肝入りでつくられた妙観講機関紙「慧妙」が最新号(4月16日号)で、矢野絢也裁判を大きく取り上げていた。そのなかでなぜか小生のブログのことが活字にされている。なんでも裁判結果を誤って伝えたといったことで、いかにも勝ち誇ったような訳の分からない論旨である。
 当サイトは多くの個人ジャーナリスト運営のブログと同様に、一人で取材・調査、執筆、推敲、校閲、掲載までを行う。読み返す時間と能力が足りず、誤字・脱字を読者に指摘されて直すことも少なくない。自分でも極力見直すことを心がけているが、毎日のこと、至らないこともある。それでも通例は気がつけば常時、、直すべき箇所は適宜修正を加えていく。それでも間違いなどが残ることもある。
 矢野裁判について、30分から1時間くらいの時間、裁判結果が正確に記載されなかった点は事実だ。それらは判決書を“現認”した段階で、速やかに修正したにすぎない。彼らの揚げ足とりは、その1時間未満の情報のログを残し、やいのやいのと騒いでいるといった現状だ。しかもそんなことを紙媒体の機関紙にまで掲載するのだから、呆れるというか、ほかによほど指摘できることがないことの裏返しという点では、逆の意味で微笑ましくすらある。
 例えば、阿部日顕が若いころ、シアトルで売春婦とトラブルになり、後年、そのことを指摘されて日蓮正宗が自ら訴えた裁判で、阿部は管長(一宗のトップ)として3度にわたり東京地裁に出頭し、尋問を受け、しどろもどろの供述を繰り返し、さらに多くの証拠から「真実性」を認定されて敗訴した事実はこのサイトで何度も指摘してきた。そのことに対する反論は彼らは何も言えないのだ。
 さらにこのシアトル裁判で窮地に陥った「妙観講」一派がやったことは、でっち上げ事件を作出、あるいは演出に協力し、“天下の虚報雑誌”「週刊新潮」とともにデマ・キャンペーンを張るといった、およそ人間として卑劣極まる行動にほかならなかった。
 法主自身のふしだらな「真実」を隠そうとしてぶざまな認定を受けただけでなく、その意趣返しとして逆に、デマ事件まででっち上げて相手を攻撃するような極めつけの「謀略集団」だけに、主張できるのは瑣末な重箱の隅を突つくことでしかないようだ。哀れな連中である。

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カテゴリー:コラム, 妙観講
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