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だれも責任をとらない『週刊新潮』  「ニセ実行犯と共謀して読者を騙した」ものの‥

2009年4月18日

 昨日、短い出張から帰ってきてたまっていた新聞を整理した。昨日付の新聞各紙は最新号の「週刊新潮」に掲載された早川編集長の謝罪検証文について社説で取り上げたところが多かった。「余禄」(朝日の天声人語にあたるコラム)で扱った「毎日」を除いて、以下のようなタイトルである。
 東京  雑誌報道の自殺行為だ
 朝日  「騙された」ではすまぬ
 産経  まず誤報の責任を明確に
 読売  第三者調査で徹底検証せよ
 さらに「東京」は「こちら特報部」の紙面でも大々的に取り上げ特集を組んだ。日経は翌日付の社説で、「新潮の『検証』は甘すぎる」と打った。
 今日付の「毎日」は新潮社がこの件で「社内処分を行わない」とコメントした内容を社会面で小さく掲載している。産経社説の「誤報の責任を明確に」との主張は早くもうやむやにされ、さらに読売が主張したような「第三者機関」さえ設けない。加えて、今回の誤報責任者である早川清氏は20日付で編集長を退くかわりに、担当取締役として「週刊新潮」と「新潮45」を新たに統括するという。これでは、泥棒が何の責任もとらずに手下の泥棒をたばねる「大泥棒」に昇格するのとまったく同じ構図だ。新潮社という出版社には、「モラル」という言葉が欠けているのだろうか。
 私は早川氏の10ページにわたる検証記事なるものを地方の出張先で目にした。感じたことはいくつかある。一つは事前に情報漏れを防ぐという理由で、一人の記者、一人のデスク(記事執筆者)、編集長以外にこの件の取材進行を知る者がいなかったという事実だ。勢い、多面的な判断に欠けてしまったようである。取材が右翼関係者などに広く及ばなかったというのも、当然のことであろう。はっきりいって「取材不足」であり、「見切り発車」にすぎなかったということがわかる。
 それでいて掲載してしまった理由として、「『真実相当性がある』と判断し、手記を掲載した」などと早川氏は書く。これには笑えた。報道に携わる者は、真実性がある、と判断して書く存在にほかならないからだ。真実かどうか自信をもてないのに、相当性で大丈夫だろうなどという判断で掲載するのは、ジャーナリズムを最初から“放棄”した姿にほかならない。新潮ジャーナリズムは地に堕ちた、とされる点が端的に示された部分だと思える。要するに、捜査が未解決で終わった事件だから、たとえ虚偽証言であっても、嘘はバレにくいだろうとの安易な姿勢だけが浮かび上がってくる。
 ましてや一人の記者でしか取材していないので、相当性もへったくれもない。相当性はあくまでメディア・執筆者側への“特別救済措置制度”にすぎず、今回の取材は、相当性が認められるほど綿密なものでなかったことは、すでに明白だ。
 昨日付の東京新聞「特報面」に掲載された特集記事のなかで、ノンフィクションライターの佐野眞一氏が憤っていた。「『週刊新潮はこうしてニセ実行犯に騙された』ではなく、『ニセ実行犯と共謀して読者を騙した』とタイトルを変えるべきだ」。まさにこの点こそが、今回の事件の≪本質≫にちがいない。
 早川検証記事を読んでいて、疑問に思ったことがもう一つある。情報提供者となった詐欺師の男性の虚言を信じた「理由」として、次のように書いている点である。
 「公表されている情報とは違う話を自信をもって証言するところに、かえって妙なリアリティを感じたりもした」
 まるで素人の言い訳とか思えない部分だ。まともな取材記者とは到底感じられない。詐欺師や虚言癖者の顕著な特徴は、元政治家・矢野絢也の言動を見るまでもなく、「堂々とウソをつける」点にこそある。おどおどとしておらず、正々堂々としているからこそ、聞くほうはそれを本当と信じてしまうのだ。だがそれは、一般の人々の反応であって、報道のプロに許される感性ではけっしてない。ましてこんなことを「理由」にするとは、自らの「お粗末」さを自分の筆で宣伝しているようなものである。
 昨日付の朝日新聞は、社説でこう書いていた。「早川編集長は新聞などの個別取材に応じたが、取材者は一人、写真はなしなどという条件をつけた。言論機関の責任者としてなぜ記者会見で疑問に答えようとしないのか」。ちなみに16日付の毎日記事によると、早川氏はインタビュー時間を各社30分に制限したという。さらに朝日社説は続ける。「事実に対して常に謙虚であろうと努力すること以外に、読者に信頼してもらう道はない」と。
 朝日新聞はいまだに週刊新潮を「同列の報道機関」として扱っているようだ。それは善意のものの見方であろうが、そのとらえ方はすでに正しくないのではないか。「週刊新潮」はノンフィクション部門の専門雑誌ではなく、ノンフィクションもやるが、その中にフィクションもまじえるという“特殊な雑誌”なのだ。要するに、事実と創作物の“混合雑誌”とさえいえよう。「匿名コメントの捏造行為が常習的に行われている」と内部から指摘されるような雑誌に、まともな精神など望むべくもない。
 今回の検証記事は、世間の怒りと社内の突き上げを“ガス抜き”することが最大の目的で、責任をとろうとか、反省しようといった態度は最初から感じられない。このメディアに付ける薬はないのだ。

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