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矢野絢也の素顔  30  「会っていない」とはさすがに書けなかった“虚言癖者”

2009年4月8日

 明電工関連株の2億円授受問題が浮上した1988年、渦中の中瀬古功氏(当時被告人)が「矢野本人との取引だった」と言明したのは、翌年5月の同氏の実刑判決が出た日のことだった。この発言が“決定打”となり、約1週間後、矢野は委員長職辞任に追い込まれていく。
 中瀬古証言によれば、矢野と最初に会ったのは85年1月ころで、矢野の新宿・二十騎町の自宅で開かれた新年会が出会いの場だったという。以降、その自宅のほか、ホテルニューオータニの会員制クラブ、赤坂の料亭、矢野ファミリーの経営する伊東温泉の割烹旅館などで計10回は会ったと雑誌などに書いている。
 一方の矢野は、「そんな人に会ったこともない」とシラを切り、さすがに無理が通らないと思ったのか、「名刺交換くらいはしたかもしれない」などと“後退”した。脱税事件で一緒に逮捕・起訴された明電工専務(当時)も、株売買について、やはり中瀬古氏と同様の証言を行っていた。
 88年12月、朝日新聞で矢野ファミリーの明電工関連株売買の事実が報じられると、矢野はその記事を名誉棄損で刑事告訴したものの、翌年春、こっそりと取り下げた。さらに共産党機関紙「赤旗」が明電工関係者からの取材を行い、矢野の妻である満子がたびたび明電工本社(渋谷区)を訪れていた事実を暴露。矢野はこの致命的な指摘に対し、一切、法的手段をとることすらなかった。要するに、この時点ですでに、中瀬古氏との親密な関係を事実上認めていたことになる。
 矢野の朝日新聞社に対する“姑息な態度”は、昨今、「週刊新潮」が阪神支局襲撃事件のデマ手記問題で、朝日のまっとうな指摘に対し、ずっと頬かむりをしてきたのとまるで瓜二つの姿だ。中瀬古証言によれば、矢野ファミリーらは株売買で億単位の利益を得ていた。
 矢野はいまになっても、「天地神明に誓って、私は潔白である」などとうそぶいている。だが、「中瀬古氏に会っていない」などの“大嘘”はさすがにもはや書けないようである。実際は、中瀬古夫婦と矢野夫婦は、夫婦ぐるみの極めて親密な付き合いをしていた。
 自分を守るためとはいえ、こんな“虚言癖者”も珍しい。

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