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矢野絢也の素顔  29  「矢野さんになってろくなことがない」とぼやいた権藤恒夫

2009年4月6日

 私事になるが、明治生まれだった小生の父方祖父はフィリピン戦線で九死に一生を得たあと、戦後の一時期、福岡県の専売公社(現在の日本たばこ)に勤務したことがある。そのとき同じ職場に権藤恒夫という人がいたらしい。「彼はよく職場で居眠りしよったたい。夜の活動で忙しかったっちゃろうな」。時折、そう語ることがあった。権藤はその後公明党代議士となり、国対委員長などの要職をつとめた人物である。その権藤と親しく交際した平野貞夫という元参議院議員が、2005年に出版した著著の中で次のように記していた。
 「矢野氏は委員長辞任について池田名誉会長に恨みを持っており、この際、大きな動きの中で『池田名誉会長を学会から何とかしてしまおう』という考えも見え隠れしているということであった。矢野さんの『池田名誉会長を何とかしよう』という動きは、これが初めてではなかった。昭和50年代の中頃にも、学会首脳を巻きこんで陰険な動きがあったことを、権藤さんから何回か聞いていた」
 上記の記述が正確であれば、矢野絢也は現職議員時代から、「二心」をもち、巧みに泳いでいたことになる。すべては自らの金銭問題が原因で委員長職を辞任せざるをえなかったにもかかわらず、その責任を第三者に求め、回避する姿は、現在にもそのまま通じるものがある。
 いまにつながる問題のすべての淵源は、矢野絢也の政治家としての姿勢に帰結する。同人がどんな言い逃れをしようと、時の司法がどのような決定をしようと、その点だけは一向に変わらない。公明党議員としての“模範”からほど遠い姿にほかならなかったせいか、権藤が「矢野さんが委員長になってろくなことがない」と嘆いたのも、無理からぬ話であった。

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