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Archive for 2009年4月

矢野絢也の素顔  37  信平夫婦と変わらない「詐欺」体質

2009年4月30日 コメントは受け付けていません

 矢野絢也が「北海道にいいい不動産会社はないか」と党書記長の権限を使って、北海道の所属議員に打診したのは70(昭和45)年7月。同年10月には、矢野は旭川市の不動産会社・七和商事を自ら訪問した。
 そうして矢野ファミリーが「原野商法」詐欺に熱心に取り組み始めるのは72年ごろ。北海道函館市からほど近い標高1100メートルの駒ケ岳のふもとの土地をまずは売りさばき、翌年になると別の土地を販売するようになった。
 前後して73年2月には、矢野絢也の事実上のダミー会社「善興」を大阪に設立。そのころ旭川市の提携先の不動産会社・七和商事は旭川市内に4階建ての自社ビルを建設した。相当にはぶりがよかったことがうかがえる。だがそうした詐欺商法も75(昭和50)年ごろには収束していったようだ。さすがに悪いことは続かなかったのだろう。
 それでも買主(被害者)から強いクレームが出ることもなく、矢野ファミリーは詐欺罪で立件されることもなく、損害賠償を請求されることもなかった。いずれも40年近い過去の話であり、すでに「時効」を迎えている。それでも道義的な責任は残っている。なぜなら、この詐欺商法を陰で支えていたのが、公党の書記長であった矢野絢也だったという「事実」が存在するからである。
 北海道といえば、函館市にはほかにも悪い夫婦がいた。信平醇浩(じゅんこう)と信子の2人は、教団の地元幹部として、末端会員らから金を借りまくり、返さないなどの「詐欺的行為」を繰り返していた。ところが、矢野夫婦の行った行為は、これらに勝るとも劣らない。
 矢野は自分の兄弟にも等しい間柄のいとこを使って、支援者相手に詐欺商法を行わせ、その責任をいまも一切認めようとしない。七和商事の最大のお得意先であった矢野ファミリーは、当時はまだ珍しかった北海道旅行という「接待旅行」まで当時受けていた。そのときの記念写真がすでに一部雑誌などで公表されている。
 以前、野崎勲氏が『こんな悪いやつはいない』という書物を出版したことがあったが、小生もまさに同じ感慨を覚える。自らの政治的立場を利用して独り“金儲け”に走り、私腹を肥やしてきた。しかも騙した相手は、自分を当選させるために手弁当で動いてくれた支援者たちである。こんな悪いやつはいない。
 矢野絢也ファミリーによる「原野商法」詐欺は、そのまま後年の「明電工疑惑」にもつながっていく。底流に備わる共通項はどこまでいっても≪私財の蓄え≫に狂奔する姿にすぎず、さらに「いとこの商売のことは知らない」「明電工事件は潔白だ」などと、自らの行動を正当化させるための嘘八百にほかならなかった。

カテゴリー:コラム, 矢野絢也

「週刊新潮」Kデスクについて

2009年4月29日 コメントは受け付けていません

 朝日新聞阪神支局襲撃事件をめぐる「週刊新潮」の虚報問題で、手記を担当したデスクについて若干の情報があるのでそのまま掲載する。
 1998年早大政経学部卒業後、新潮社入社。週刊新潮編集部に配属され、特集記事の取材記者に。2000年に特集記事「『フォーカス』スクープ 熊本『70億円保険金』疑惑の追跡」(同年9月7日号)の現地取材にあたった。同記事は熊本の医療法人によって名誉棄損で訴えられ、週刊新潮は990万円の損害賠償金を支払うとともに、謝罪広告を掲載した(2004年10月、最高裁で確定)。この記事を担当した四方田隆デスクは法廷における尋問のなかで、「彼は優秀です」とKの能力を高く評価していた。その後、「新潮45」編集部に異動し、週刊新潮に復帰。織川隆というペンネームで講談社から何冊か著作を出している。

カテゴリー:コラム, 新潮社

矢野絢也の素顔  36  「2億円」を渡した日

2009年4月28日 コメントは受け付けていません

2009/04/28(Tue)
 問題となった1987年5月27日、公明党委員長の矢野絢也は「時価8億円」とうたわれた新宿二十騎町の自宅で明電工の専務に1000万円の札束20個を直接手渡した。
 実はこの日は通常国会の会期末に当たっており、朝からあわただしい一日だったという。党委員長の矢野にとっても日程は朝からビッシリで、その様子は翌日(28日)付の公明新聞に掲載された「ドキュメント108国会最終日」という記事からもうかがえる。それによると、昼前後の矢野の日程は次のようになっていた。
 11:30 衆院控室で矢野を中心に党訪中団同行記者団と懇談
 12:30 衆参両院議員総会で挨拶
 12:50 代議士会
 13:00 衆院本会議
 13:16 控室に首相が挨拶に
 13:21 衆院議長が挨拶に
 13:25 党控室で記者団にお礼
 この日の昼すぎ、矢野は国会をこっそり抜け出し、自宅へ車を走らせる。あらかじめ用意していた札束を、自宅で相手に渡すためである。そのカネを使って、絶対に値上がりする株を購入し、“儲ける”のが目的であった。公党の委員長が、自らの私利私欲のため、公務の合い間をぬって、こんなことをやっていたのである。しかも委員長就任からわずか半年後のことだった。
 このときの現金授受問題が、それから1年半後に世の明るみとなり、委員長職をなげうつことにつながっていく。悪いことはできないものである。
 このときの金銭授受について、「矢野本人の株取引」との複数の関係者の証言が存在しながら、矢野は途中で供述を公然と変転させた。秘書の取引のために代理でカネを渡したなどと、ヌケヌケと虚言を並べたからである。公党の委員長が、「元」秘書の私的な金儲けのために、国会最終日の多忙のなかをわざわざ一人で抜け出して、自宅に舞い戻ったなどと主張したのである。いま振り返ると、キチガイ沙汰の行動・言い訳としかいいようがなかった。
 結局は自らの「卑しい行為」を糊塗するための“空しい弁明”にすぎなかった。腐ったリンゴはこのときすでに、どこまでも腐りきっていた。いったん芯まで腐りきった果物は、その後、周りがどのように努力しても元に戻ることはなかったといえよう。

カテゴリー:コラム, 矢野絢也

朝日に習えば、早川清は「解任」がスジ

2009年4月27日 コメントは受け付けていません

 今日発売された「サンデー毎日」(5月10・17日号)で評論家の佐高信・金曜日社長が政経外科のコラムで、今回の「週刊新潮」虚報事件について痛烈に皮肉っていた。「『騙された』とは、ジャーナリスト失格を自ら宣言したことです <『週刊新潮』編集長への手紙>」というタイトルで、同誌を育てた故齋藤十一と今回の事件を引き起こした早川清編集長とのかかわりにふれながら、早川氏のことを「才能のない俗物」と斬り捨てている。
 「だまされるということ自体がすでに一つの悪」との引用された言葉は、説得力をもっている。さらに現在発売されている月刊誌「WiLL」(6月号)掲載の右翼関係者の16ページにおよぶ文章も興味深い。右翼関係者と「週刊新潮」編集部とのこれまでの抗議などの経緯を明かし、担当デスクが「K」というイニシャルであることを記述している。Kといえば、小生がまっ先に思い浮かべるのは草野だが、今回はどうも別の人物らしい。
 この文章では、「今回の『週刊新潮』の『赤報隊実名報道』は朝日の伊藤律架空会見と同様、間違いなく歴史に残るに違いあるまい」と断じたうえで、告発者となった男性と面談した週刊誌記者(他誌と思われる)の発言として次のような言葉が紹介されている。
 「話していても30分おきくらいに話の展開が変わり、一般の人でも、コイツはおかしい、とすぐに感じますよ。新潮はよく、あんな男の話を信じましたね。島村一人では、絶対に4回の連載に耐えられる話の筋など作れないでしょうね」
 要するに、新潮側の確信犯的な「創作」が加えられない限り、今回の手記は成り立たないようなお粗末な人物にすぎなかったと指摘しているわけである。
 “捏造創作手記”と疑われている責任者の早川氏は、佐高社長が指摘するように「自分が責任を取って退社するでもなく」、これからは「週刊新潮」と「新潮45」を統括する取締役に“昇格”するという。読者をこれほどバカにした責任の取り方が世の中に存在するだろうか。
 先の朝日新聞の伊藤律事件では、担当記者は退社、支局長は依願退社、編集局長は解任になったとWiLL誌で紹介されている。これに習えば、週刊新潮のKデスクは依願退社、早川清部長(取締役)は解任あるいは解雇となるべきだが、話はあべこべとなっている。
 もはや、新潮メディアにおいては、朝日新聞を批判する「資格」は存在しなくなったということだ。さらに今後も政治家や企業人など、さまざまな不祥事に基づく責任の取り方について、「週刊新潮」および「新潮45」には、それらを批判する「資格」は一切なくなったということでもある。

カテゴリー:コラム, 新潮社

矢野絢也の素顔  35  「株」と「土地」を使った錬金術

2009年4月26日 コメントは受け付けていません

 読売新聞記者が矢野絢也の半生を綴った『矢野絢也・全人像』 (1981年)に書かれなかったことで、付け加えなければいけない2つの事柄は、矢野が党委員長辞任のきっかけとなった「明電工疑惑」であり、さらに支持者にはただ同然の原野を売りつけ、多額の金銭をファミリーのポケットに入れた「詐欺事件」についてであろう。要するに、「株」と「土地」を使った錬金術であり、その根底には、同人特有の根強い“拝金主義”が横たわっている。
 矢野の政治家としての人生をたどると、この「株」と「土地」の問題が終生、同人から離れることがないことに気づかされるだろう。
 「株」については、最初に就職した大林組において会社の増資の仕事を担当するなど、業務上、株式売買に関わったことが最初だったとされる。さらに「土地」については、同人が幼少のころ、一家が現在の大阪市の東成区・生野区に広範な土地・建物を所有し、小学校に通うのに自分の家の土地しか通らなかったという逸話が残るほどの「土地持ち」だった。それが空襲と戦後の経済改革でほとんどを失い、貧乏のどん底に落ちたころから、同人の窮乏生活が始まっている。
 最も経済的に苦しかったのは、高校時代後半から大学生活までといい、大学生のときも学業を最小限にして、家計を助けるためにアルバイトに精を出す毎日だった。そのころ矢野家に同居していたのが、後年、原野商法のための会社「善興」を経営する5歳年下の従兄弟で、その意味では一人っ子の矢野本人とは“事実上の兄弟関係”といってよい。その従兄弟は、原野商法の仕事の過程で、すでに代議士になっていた矢野のアドバイスを逐一、公衆電話から求めていたとの証言がある。
 矢野は大学時代、日本共産党の活動にも参画した。創価学会に出会うのは、それ以降の話だ。
 矢野絢也の人生を語る上で避けて通れない2つのテーマ、「明電工事件」と「原野商法」は、言葉を変えればそのまま、「蓄財」と「詐欺」とに言い換えられる。結局、同人の人生は、「カネ」との関係に集約される。政党幹部あるいは宗教人のふりをしながら、「私益」に翻弄されてきた人生と言ってよい。

カテゴリー:矢野絢也

ワック側が2審も敗訴  土井たか子名誉棄損訴訟で

2009年4月25日 コメントは受け付けていません

 月刊誌「WiLL」が2006年5月号に掲載した記事に対し、土井たか子(本名・土井多賀子)元社民党党首が名誉棄損で訴えて一審で勝訴していた裁判で24日、大阪高裁(民事5部)で控訴審判決が言い渡され、一審被告のワック側の控訴を棄却した。一審判決では「明らかに虚偽」として、被告ワックら側に200万円の賠償が命じられていた。すでにワック側は自発的に「謝罪広告」を同誌(2008年11月号)に掲載している。
 問題となった記事は「拉致実行犯 辛光ス釈放を嘆願した“社民党名誉党首”」というもので、記事のなかで「土井氏の本名は李高順」との小見出しを立て、土井氏が元朝鮮人でそれを隠して政治家をつづけたかのように事実摘示していた。だが、土井氏側が事実無根として訴えると、被告側はなんらの具体的な証明もすることができないまま、一審で“完全敗訴”していたもの。
 結局は2ちゃんねるなどに氾濫している“公衆便所の落書き”レベルの情報を、公刊物で活字にしたために起きた事件にほかならなかった。
 一審で被告となっていたのは、発行元のワック・マガジンズ株式会社(現在、ワック株式会社)、「WiLL」の花田紀凱編集長、記事執筆者の花岡信昭・元産経新聞政治部長の3人。

 【読売オンライン】 http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090424-OYT1T00895.htm

カテゴリー:コラム

矢野絢也の素顔  34  「シラは切れるだけ切れ」という人生哲学

2009年4月24日 コメントは受け付けていません

2009/04/24(Fri)
 「1989年という年は、竹下登、矢野絢也、塚本三郎という与野党3党首が汚濁にまみれ、辞任に追い込まれるという、戦後政治史上、例をみない不祥事が起こった年としてしっかり記憶にとどめる必要がある」(『株と政治家たちの饗宴』1990年)
 自著の中でこう書いたのは、のちに赤旗編集局長をつとめる関口孝夫である。この年はリクルート事件や明電工事件の影響で、与野党のトップが相次いで引責辞任した。以来20年——。矢野絢也は当時、株売買をめぐる不明朗な疑惑をとりざたされた。
 矢野が仕手株売買をめぐり自宅で2億円を明電工関係者に手渡したことが明らかになると、同人は当初一切の疑惑を否定した。さらに逃げ切れないと悟るや、一転、元秘書への融資を「仲介した」と弁明に転じた。もちろん真っ赤なウソである。悪質政治家は都合が悪くなると、すべて秘書のせいにするのはよく見られる光景だが、その最たる例の一つといえよう。
 矢野は融資の仲介と主張しながら、最後までその契約書を明らかにすることもできなかった。2億円の現金が動いたにもかかわらず、「契約書を交わしていない」との矢野側の主張は、明らかに虚偽にほかならなかった。しかもその融資で行ったとされる株売買における株の名義は、秘書の名前ではなく、明電工関連の企業名であった。もともとその秘書と明電工関係者に直接の接点はなかった。
 当時、公党の委員長であった矢野絢也は、かつての秘書への利益供与のためにわざわざ自分の家を使って2億円を代理となって引き渡したのだという。だがその日、矢野の公務はびっしりとつまっており、矢野にとってはあわただしい国会日程をかいくぐって新宿の自宅にとんぼ返りした計算になる。しかも当の元秘書のほうの都合が悪く、秘書自身はその場に同席しなかったという。
 こうしたあからさまな≪虚偽≫を踏まえ、赤旗記者の関口は、上記の書物で次のように記している。
 「明電工疑惑をめぐる矢野問題は、仕手株取引そのもの以上に、真実にたいする態度はどうあるべきかという政治家の資質の根本にかかわる問題を投げかけた、といえる」
 「『シラは切れるだけ切れ、ばれてもともと』といった、騙し、騙されるは人間として当たり前とする人間不信を前提とした、真実を自ら積極的に明らかにしようという姿勢とはほど遠い、処世術を見せ付けられた」
 これが矢野絢也という政治家を象徴する、歴史に刻印された出来事にほかならなかった。「シラは切れるだけ切れ」という同人の人生哲学は、いまもなんら変わっていないようだ。

カテゴリー:コラム, 矢野絢也