ホーム > コラム, 矢野絢也 > 矢野絢也の素顔  27  自民党筋から得た「黒い金」

矢野絢也の素顔  27  自民党筋から得た「黒い金」

2009年3月24日

 田中角栄元首相がロッキード事件で逮捕されたのは1976(昭和51)年7月27日のことである。首相の座をすべり墜ちてからすでに1年半が経過していた。1・2審で懲役4年の実刑判決を受け、上告中の93年に他界した。あらためて当時の疑惑を追った『日本の黒幕 小佐野賢治の巻』(全4巻、新日本出版社)に目を通してみたが、すさまじいばかりの“金権腐敗”の実態である。田中には小佐野賢治という名の政商がバックについていた。実は田中角栄という政治家の実像は、「小佐野の政治的代理人にすぎなかった」というのが、当時取材した赤旗記者の感想である。その意味で、「ロッキード疑獄は小佐野疑獄だ」とも同紙記者らは回想していた。取材班の中心には、その後、同党から離れる“エース記者”の下里正樹氏もいた。現在の小沢一郎・民主党代表の図式にあてはめれば、小佐野賢治の役割の一端を果たしたのが「西松建設」だったといえようか。
 上記『日本の黒幕』によると、当時、「小佐野献金リスト」というものが取りざたされたらしい。「小佐野が田中角栄と組んで自民党や野党の一部にバラまいた黒い金、これが明るみに出るのをだれよりも恐れている連中がいる」と記者らは指摘、その対象となる政治家は100数十人にのぼったという。「野党も、共産党を除く3党で約10人にのぼる」と報じられたといい、当時の野党3党とは、日本社会党、民社党、公明党にほかならない。
 田中角栄が自民党総裁(首相)の座にのぼるつめた72年の総裁選挙では、当時の金で100数十億の金がばらまかれたといわれた。その大口出資者が小佐野賢治だったわけである。田中が首相に就任した72(昭和47)年7月から辞める74(昭和49)年までの間に、当時の公明党最高幹部が取得した不動産の動きはたいへんに興味深い。再度、以下に列記する。

 【1972年】
 7月27日  矢野絢也が三重県賢島に300坪以上の別荘を購入
 9月27日  竹入義勝が恵比寿に豪邸を購入(現在も居住)
 【1973年】
 8月 9日  矢野絢也が東大阪に5600万の鉄筋3階建ての豪邸を購入
 【1974年】
 1月19日  矢野絢也が奈良県生駒市に800平方メートルのさら地を購入

 歳費だけではとうてい購入できない規模であることはすでに明らかだ。これらの「原資」をたどれば、小佐野賢治が田中角栄に献金した「黒い金」がまじっていた可能性がかなり高い。実をいえば、矢野絢也は、上記の三重県の別荘や奈良・生駒の不動産を売却した後に現在の豪邸を建設しており、いま住む新宿区の土地建物も、その原資は小佐野ルートの「黒い金」との≪強い疑惑≫が残っている。
 矢野は上記資金の出所について、35年以上すぎたいまも、なんら有効な説明をなしえていない。

  ●ダンマリを決め込む「犯罪雑誌」週刊新潮
 http://www.asahi.com/national/update/0324/TKY200903230357.html

広告
カテゴリー:コラム, 矢野絢也
%d人のブロガーが「いいね」をつけました。