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矢野絢也の素顔  26  「負け犬」本の発刊で共通する矢野絢也と乙骨某

2009年3月21日

 書き手が名誉棄損裁判で勝つか負けるかというのは、実は重要な意味をもつ。むろん書き手だけでなく、元政治家といった立場においても同様であろう。
 矢野絢也は現役の政治家時代から、都合の悪い事実の指摘に対しては、刑事告訴を連発してきた。相手は東京スポーツであったり、朝日新聞であったりした(いずれも途中で告訴を取り下げた)。いわゆるその場しのぎの“ポーズ”で起こしたものだけに、結論は出ていない。東京スポーツの場合は民事提訴も行っていたが、和解で終結させたようだ。いずれも明電工疑惑に関する指摘であり、いま振り返ると「事実」そのものの指摘といってよかった。
 通例、原告である限り、勝てる裁判であれば途中で中途半端に和解したり、告訴を取り下げるといった行動はとらない。逆に最初から足場が弱いから、こうした「落とし所」に落ち着かせるしか方法がなくなるというわけである。
 その意味では、矢野は「現役時代」から、裁判にはからきし弱かった。適当に言い逃れて済ますことのできる「政治家の世界」と異なり、法廷では厳密な証拠が要求される。偽証などもすぐに見抜かれる。その墓穴を掘った典型例が、一昨年の暮れ、一審判決の出た「週刊現代」裁判だった。この裁判で矢野と講談社は660万円の損害賠償とともに、各自の謝罪広告掲載を命じられた。
 矢野は法廷において、自分だけでなく、女房や女性秘書にもことごとく偽証を行わせていた。裁判の展開としては“最悪”のパターンで、大きく負けるのは自業自得とはいえ、当然のことに思えた。
 だが、矢野本人はそうした≪当然の帰結≫に腹の虫が治まらなかったようだ。司法によって明確に排斥された自分の主張を、証拠を示すこともなく、自著のなかでいまも平然と繰り返しつづけている。こうなれば、もはや、破れかぶれもいいところだ。
 同じような傾向をもつ人物として、ジャーナリストを称する乙骨某がいる。名誉棄損裁判で何度も負け続け(いずれも真実性・相当性の欠落が原因)、本人には反省という文字がないようだ。物書きとしての基礎的訓練を欠いている証明ともいえようが、さすがに八つ当たりの一つもしたくなったのか、“負け犬の遠吠え”としか思えない本をこのほど共産党系出版社から発刊した。
 自分の裁判は、事実として「敗北つづき」にほかならないので、言い逃れするにも限度がある。そのため、ほかのさまざまな裁判実例を、日本共産党の幹部弁護士などの手を借りて寄せ集め、書物にしたような次第である。近年、同人の裁判はことごとく共産党員の幹部弁護士が手がけており、日本共産党と乙骨の強い結びつきが感じられる。そのため公安警察のマーク対象になっているという話もあるが、裁判で勝てない人間が負け惜しみを言うのは、やはり“負け犬の遠吠え”でしかなかろう。
 自分の手足で取材・調査もせず、「推測」で人を罵倒・中傷するジャーナリストなど、この世に存在する「資格」があるはずもない。「まともに取材もできないくせに」と、仲間内でも罵られているという。

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