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「裏づけなし」にガセネタ記事を掲載した「週刊現代」

2009年3月16日

 「スクープ 創価学会&公明党のタブー 『矢野絢也元公明党委員長 極秘メモ』100冊が持ち去られた!」とのタイトルの記事が掲載されたのは2005年7月25日に発売された「週刊現代」である。同じ日、公明新聞には「議員OB座談会」がスタートし、 “立党精神を忘れるな!”と題し、藤井富雄最高顧問などを中心とした企画が始まった。時期が重なったのがたまたまかどうか不明だが、座談会の内容は29日付から矢野批判に変わり、追及が始まった。矢野はこうした動きを事前に察知し、その「報復」として、週刊誌を使った可能性がある。
 周知のとおり、上記の「週刊現代」記事は議員OB3人が原告となり名誉棄損で訴えることで裁判ざたに発展したが、被告矢野絢也と講談社側は、このときの記事(=第1記事)で現代側は矢野に取材依頼したものの、矢野は断ったという主張で一致している。要するに「週刊現代」は、このとき確たる裏づけを取らずに上記記事を掲載したと≪自白≫しているに等しい。世の中にはとんだ“ボロ雑誌”が存在したものだ。
 記事のなかでは、数人の男たちが矢野宅とその前に停車していた車に段ボールを運ぶために何度も往復する姿が付近の住民から目撃されたといった、事実上、ありえない「空想話」が随所にはめこまれている。なぜなら段ボールは2個しかなく、実際は一人で運んだからだ。記事を担当した編集者は、藤田康雄という副編集長(当時)で、同氏が法廷で証言したところによると、小山博史、野田洋人、本山裕記、佐伯誠一の4人の記者が取材に関わったとされる。
 確たる裏づけもとらずに掲載された上記の記事は、裁判では、一審で完全敗訴する結果となった。当然であろう。当事者である矢野本人への裏づけすらとらず、≪空想≫で記事を膨らませ、ジャーナリズム気取りで売り出した記事にほかならなかったからだ。
 矢野本人は翌週号の記事(=第2記事)でようやく姿を現し、「強奪された」などと自分の口で語り始めた。このとき矢野は、講談社の取材に対し、3人の議員OBに自ら「念書」を作成した上で手帖を渡した事実などを、意図的に伝えることをしていない。メディアを操作する目的で、都合の悪い事実を隠したまま、情報をリークした一つの証拠といえよう。要するに、講談社側は騙されたのだ。矢野にとって、メディアを動かすのは議員時代からの手馴れた行動にほかならない。
 そうした人間に乗せられて記事掲載した手前、「週刊現代」は引くに引けない場所に追い込まれてしまった。裁判では、真実相当性について、一切、立証することのない“異例の姿勢”を貫き、ダンマリを決め込んだ。最初から「敗北宣言」しているような態度にほかならなかった。
 メディア側が真実相当性を立証するには、取材過程などを詳細に語る必要に迫られる。そうなると、矢野絢也から本当は話を聞いていたなどの表に出せない話をせざるをえなくなり、それを避けるために敗北覚悟で敢えてそうしなかったとしか思えなかった。
 「週刊現代」には過去にもこのようなお粗末記事を掲載した歴史がある。95年、東村山市で女性市議がビルから転落死した事件で、まるで教団関係者が殺害したかのような記事を掲載し、結局、謝罪広告を余儀なくされた。このときデマ記事の証言者となった現職市議「朝木直子」らは、自己保身から現代の取材は受けていないなどと裁判の途中で言い出し、講談社側と“仲間割れ”した歴史がある。今回も、告発者の虚偽に騙されたという意味では、大同小異といえよう。
 矢野記事を担当した藤田副編集長は、この東村山デマ記事のときにも記事作成に関与していた人物だ。要するに、週刊誌の世界は、同じ人間が、同じような事態を繰り返し引き起こしているにすぎないということになる。

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