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矢野絢也の素顔  23  公明党の伝統を「破壊」した男

2009年3月11日

 公明党の歴代委員長は原島、辻、竹入、矢野、石田、神崎、太田とすでに7人にわたるが、公明党の「伝統」を壊した最たる委員長は「矢野絢也」以外にいないと断ずるほかない。なぜなら不明瞭な金銭スキャンダルでその座を追われたのは、矢野以外に一人も存在しないからだ。公明党の英語名が the clean party であることからもうかがえるように、政治とカネの問題を中心に「清潔な政党」というのが、公明党の最大の伝統であったからだ。
 にもかかわらず、矢野は委員長に就任した89年12月からわずか半年後の時点において、東京新宿区の「8億円」といわれた豪邸において、明電工の専務に1000万円の札束20個を手渡し、「あんじょう頼みます」とお願いしていた。この問題はそれから1年半ほどだって世に発覚し、マスコミ各社から袋叩きに遭うことになるが、このとき、公明党の伝統はいったんは“失墜”したのである。
 それをカバーしたのは矢野自身ではなく、無名の支持者であり、まじめに活動してきた地方議員たちであった。
 矢野はいまになって、上記の問題について「天地神明に誓って、私は潔白である」などと主張しているが、ひょっとするとすでに“痴呆症”にかかり始めた証拠かもしれない。
 公明党の党史に自ら泥を塗り、それを反省して出直すどころか、逆に引退後は、支援団体と対立する政治家連中と故意に親密に付き合い、教団側を牽制してきた。「オレを敵に回すと怖いぞ」という暗黙のプレッシャーともいうべきもので、その点では、山崎正友などとそっくりの行動に見えなくもない。
 こんな“疑惑まみれ”の元委員長に応援されたら候補者のほうも迷惑であろうから、事実、本人も応援演説するようなことなどほとんどなく、選挙の日も気軽にゴルフにこうじたり、適当にマスコミで発言しながら小遣い銭を稼いでいた。いまでは、自分の財産を守るために汲々としているだけの「後期高齢者」(本人の弁)にすぎないようだ。
 公党の委員長までつとめたのだから、心を入れ換えて一緒に出直そうよ、とのかつての議員OBの仲間たちの忠告をいったんは受け入れながら、心を翻してこんどは「虚言」を構え、「手帖を強奪された」などと週刊誌に垂れ流し、裁判沙汰になってきた。教団側は宗教的信念に基づいて何度も更生の機会を与えてきたが、本人はそれに応じるだけのまともな信仰心すらすでに欠いていた。そんな事実を知られているからこそ、こんな人物を、だれも尊敬することはない。
 人間はその生き様で計られるべき存在であり、財産の多寡など重要な問題ではない。まして創価学会は宗教である。蔵の財よりも身の財、心の財を何よりも大切にする信仰集団である。だが強欲な人間にとって、いったん手にしてしまった財産は、いかなる方法でそれを取得したかにかかわらず、人のためではなく、自分のためにしか生きられない「小さな人間」にしてしまうものらしい。
 その意味で、矢野絢也の人生は、公明党議員が陥ってはならない「反面教師」の姿そのものだ。

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カテゴリー:コラム, 矢野絢也
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