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矢野絢也の素顔  21  委員長就任の日を襲った一編のレポート

2009年3月9日

2009/03/09(Mon)
 矢野絢也が公明党第4代委員長に選出されたのは、1986(昭和61)年12月5日、東京・九段会館で行われた党大会の席上である。実はこの日発売された「月刊現代」にひとつの重要なレポートが含まれていた。タイトルは「矢野絢也新委員長のアンタッチャブル金脈」というもので、サブに「“清潔な公明党”が泣く!?」と付されていた。13ページにのぼるこのレポートは、矢野の金脈問題を立体的に洗った初期のレポートの一つである。
 矢野が元秘書らを使って「矢野ファミリー」と呼ばれる金脈をもっている事実、その中心人物が中村道雄・元第一秘書であること、さらにこの男性が歯科技工士の専門学校を安定的に経営していること、さらに矢野ファミリーはナチュラルグループ本社とも密接な関係をもっていることなどが具体的に記されていた。
 加えて矢野本人が地元の東大阪のほかに新宿区にも「豪邸」を所有する不可解さに言及していた。新委員長に就任した矢野はこれらのレポートに早速抗議してみせ、発行元の講談社側は釈明文を寄せたという。矢野はこのとき、新宿・二十騎町に建てた「時価8億円」といわれた豪邸について、購入代金は1億円以下と指摘し、しかもその原資は家族が保有していた株を売却した代金などと説明した。さらに東大阪の「豪邸」取得の経緯について、「3300万円で購入したものであり、(中略)それ以前に矢野が住居としていた東大阪市所在の土地建物を売却した代金」などと述べたようだ。
 だが、東大阪の「豪邸」前の土地建物がどこにあったかは明らかにされていない。さらに、公明党議員が地元だけでなく、東京にも「豪邸」をもつケースは、矢野絢也ひとりとされていた。「清潔さ」を信条としてそれまで活動してきた公明党のトップが、これほど蓄財に励んでいた姿は、いくら弁明しても、疑念が払拭されるものではなかった。
 結論すると、矢野の錬金術は土地と株式、さらに政治権力の影響から広げた「ファミリー」との関係につきるようだ。田中角栄の影響を強く受けたという意味では、小沢一郎も矢野絢也も結局は同じ穴のムジナといってよい。現状で把握できる限り、矢野が別荘などの土地建物の購入を始めたのは、田中角栄が自民党総裁に就いたまさに同じ月の1972(昭和47)年7月からであり、東大阪の自宅や奈良・生駒市の土地購入は、いずれも田中総裁の在任時期に行われている。かなり潤沢な資金が流れ込んだものと見られる。
 その意味では、現在の「小沢問題」と、この「矢野絢也問題」はかなりの部分が通底しているといってよい。矢野が「原野商法」という詐欺行為に関わったのも、田中角栄の『日本列島改造論』などの流れに影響された「土地問題」への着目なしにはありえなかったと思われる。
 結局は、自分の利益しか考えていないタイプの人間にすぎない。

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カテゴリー:コラム, 矢野絢也
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