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矢野絢也の素顔  17  「原野商法」の指摘を訴えられない「理由」

2009年3月1日

 矢野が国会議員になってまもない昭和47年、その秘書と従兄弟がからんで「原野商法」詐欺を行っていた事実が初めて世の明るみになったのは2005年11月である。被害者の息子が「財界にっぽん」という月刊誌に手記を掲載したのが始まりだった。これに対し矢野側は、「貴殿の文書の記述は、そのほとんどが事実に基づかず、言い掛かりの類であり、通知人の名誉を著しく傷つける」と指摘し、さらに「もし貴殿がこのような御主張をくり返し、流布されることがあれば、通知人としては断固として法的手段をとる」という“脅し”の文章を送ってきた。以来、矢野絢也がかかわったと見られる原野商法詐欺の疑惑は繰り返し繰り返し、同誌などで掲載されてきたが、矢野は今に至るまで一切、これらの指摘に法的措置をとっていない。不思議なことである。
 矢野は「詐欺師」であると指摘されているにもかかわらず、それを“甘受”しているからだ。しかも、訴訟好き、告訴大好きの矢野がである。だが、訴えることのできない「確かな理由」も存在するようだ。
 この原野商法詐欺で中心的役割を演じたのは、矢野の5歳年下の従兄弟で、矢野功(71)という人物である。矢野の父親の実弟の長男であり、矢野にとっては“肉親同然”の存在といえよう。一人っ子として育った絢也にとって、功氏は、苦境時代を共に過ごしたいわば「事実上の兄弟」といってよい関係にあったようだ。矢野の父親はノイローゼになったりで、矢野の高校・大学時代は窮乏生活だった。母親は朝から晩まで内職のためにミシンを踏み、絢也は学業そっちのけで手伝った。そのころ、矢野家に同居していたのが、上記の功氏だという。功氏の父は戦後まもなく他界し、矢野家に居候していたようだ。こうした苦境時代の影響もあったのだろう。矢野がその後、大林組に就職し、さらに府議会議員、国会議員のステップを踏んでいくと、一族の一人である功氏は矢野の運転手に納まる。
 さらに昭和47年になると、土地売買を行う仕事に手を染め、絢也の政治力を背景にその支持者らを騙し、ただ同然の原野を将来新幹線が通るなどと偽って大金で買わせていた。そのとき窓口になっていたのが、「中村道雄」という当時の矢野の公設秘書で、明電工疑惑でも名前が出た人物だ。
 この2人が関与した詐欺事件である以上、矢野絢也本人が“無関係”であったとは到底いえない。客観的に見てもそのことは明らかであり、まして土地がらみの事件なので、痕跡は「登記簿」という物証上に明確に記録されていた。
 だからこそ、元公明党委員長の矢野絢也は、「詐欺商法」の加担を指摘されても、訴えることすらできないのだと私には思われる。仮に訴えれば、逆に、やぶへびにその関与を司法認定されることになりかねない。「墓穴裁判」となる可能性が高いことを自分でもよくわかっているのだろう。矢野がすでに「元政治家」というより、「社会悪」の存在にほかならないというのは、こういう点にもある。

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カテゴリー:コラム, 矢野絢也
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