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「デマ雑誌」の“開き直り”方講座

2009年2月26日

 首都圏で本日発売された「週刊新潮」(3月5日号)が朝日新聞の検証記事に対し、2ページの反論記事を掲載した。主張内容は、当事者しか知らない「秘密の暴露」はすべて手記内で明かしているとし、現場から持ち去った緑色の手帳、繊維片などがそれらに当たるという。
 小生が最も関心をもつ事柄のひとつは、証言者の証言内容が≪変遷≫したという朝日側の指摘である。それに対し、新潮の反論記事は、「自分たちのほうが朝日より長い時間取材した」(趣旨)というだけのもので、およそ反論になりえていない。法廷における主張でもそうだが、主張が変遷するということは、通例は真実を語っていないものとみなされる。なぜなら真実は一つであるからだ。もちろん本人の記憶違いなどは当然起こりうるにせよ、殺害された朝日記者を「狙った犯行」という供述と、「金が目的であり、特定の記者を狙ったわけではない」との供述は、およそ記憶違いから生じるような性質のものではないと思える。
 要するに、証言者がどのような≪人格特性≫をもつ人物であるかを見極めることが、こうした証言の場合、非常に重要になる。その意味では、本当に「正体は暴力団員で詐欺師」(週刊朝日)と指摘されるような人物なのか、きちんと見極める必要が出てくるはすだ。もちろん、この証言者の過去の行動歴をみれば、それらの特性はある程度、位置づけられよう。
 その意味では、これまで報じられていることから判断する限り、この男性が、真実を正直に述べるタイプの人間であるかどうかということについては、現状では大きな疑問が残る。さらに男性が朝日新聞の取材に応じていない事実も、男性の証言内容の真実性に疑問符をつける要因の一つだ。
 「週刊新潮」は自信満々に書いている。「朝日新聞社の本は筆者が違っていても、すべてにおいて整合性があるとでもいうのだろうか」。冗談も休み休みに言えというところだろう。
 新潮社から過去に発刊された一橋文哉著『「赤報隊」の正体』は、現在、週刊新潮編集長の早川清が深くコミットしてできた単行本であり、同じ人物が編集責任をつとめる雑誌「週刊新潮」でまったく違うことを主張し始めたからこそ、問題として指摘されているわけだ。“姑息な言い訳”にもほどがあるということではないか。一橋の正体についてはすでに「噂の真相」(02年7月号)などが詳報済みだ。
 最終的に、新潮側は手記内容が真実であるかどうかを判断できるのは「警察当局のみ」と開き直っている。最初からこれが彼らの落としどころであったと思わざるをえない。「週刊新潮」は表紙の隅にでも、「創作のまじった雑誌」であることをきちんと明記したおくほうが読者に親切というものだろう。

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