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矢野絢也の素顔  13  かつて「週刊現代」が書いたこと

2009年2月21日

2009/02/21(Sat)
 いま私の手元に1989年2月4日号の「週刊現代」記事がある。タイトルは「公明党幹部が衝撃暴露 『矢野明電工疑惑を隠すため消費税成立に加担した』」というもので4ページの特集記事になっている。時期的には矢野の明電工疑惑が発覚した翌年にあたり、それから約3カ月後には矢野は公明党委員長の辞任に追い込まれる。
 この記事は、公明党幹部Aなる人物の、「とにかく、結党以来の危機ですよ。委員長本人が疑惑の渦中にいるなんて、ウチでは前代見聞のことですからね」との“嘆き節”から始まる。さらに竹下首相(当時)がこの問題を使って公明党を脅し、消費税成立に結びつけたというトーンで描かれている。内容の真偽はともかく、注目したいのは、このときの「週刊現代」が、矢野について≪トボケの名人≫と断定的に指摘していたことだ。その指摘は、矢野が自宅での2億円授受について言い分がコロコロと180度変わったことなどを指している。さらに上記のA氏はこう述べている。
 「特に矢野にとって痛いのは、一連の疑惑報道によって、矢野個人が大阪と東京に合計12億円といわれる豪邸を持っていることが明るみに出たことです」
 このころ矢野は、東大阪と新宿二十騎町にそれぞれ豪邸を所有していた。さらに98年には新宿・市谷甲良町にも3軒目の豪邸を新築する。当時、2軒だけでも公明党議員としては十分に「問題」だった。そんな議員はほかにいなかったからである。
 記事には、昨年末に死去した山崎正友のコメントもある。興味深い内容なのでそのまま引用しよう。
 「末端の学会員たちが、矢野を許せないと思っているのは2点です。まず、一介のサラリーマンであった矢野を国会議員にし、書記長、委員長に押し上げたのは誰か、ということ。それは何万人という貧しい学会員たちの献身的な運動のおかげです。それなのに私腹をこやすとはなにごとか、というわけです。もう一つは、公明党は『公明正大』を立党の精神にしているのに、党首自ら汚いことをやったことです。倫理、道徳の先生がメカケをつくったようなものですから、許せないのは当然ですよ」
 言っていること自体は、きわめてまっとうな内容である。
 それにしても、「週刊現代」は矢野に対し、当時は正確な評価を下していた。≪トボケの名人≫と指摘しておきながら、それから16年後、その≪トボケの名人≫によるリークなどによって、「手帳を強奪された」などとセンセーショナルな記事を打ち、名誉棄損裁判で完全敗訴する“墓穴”を掘る。
 くれぐれも繰り返しておくが、矢野はまさに≪トボケの名人≫であり、けっしてそれ以上でも、それ以下の存在でもない。白を黒、黒を白と言い逃れることは平気で、朝飯前の人物である。「倫理・道徳の先生がメカケをつくったようなもの」とは言いえて妙な比ゆだが、そう述べた山崎と矢野は同じ京都大学出身だった(矢野は昭和26年経済学部入学、山崎は30年法学部入学)。山崎が1年生のとき、矢野は“就職浪人”の5年生だったはずだから、2人は一年間だけ重なった時期があったようだ。

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