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矢野絢也の素顔  12  政治を「商売の道具」に貶めた“利権屋”

2009年2月19日

 1967(昭和42)年に衆議院議員として初当選以来、すでに6年目の72(昭和47)年には三重県に別荘を購入。翌年には地元・東大阪にたいして使いもしない「豪邸」を建てて日本共産党から攻撃される失態を演じたほか、74(昭和49)年には奈良に土地を買って後年、多額の売却益を得た。26年間の国会議員生活のなかで、秘書として使った人間に商売させ、それらを「矢野ファミリー」として“金儲けの基盤” にしてきたことも特徴の一つだ。政党トップをつとめながら、政界引退後は支援活動らしきことも一切せず、多額の株取引などに興じてきた。
 同人の人生を「総括」すると、自身の政治活動を利用して得た人脈で金儲けをしてきただけにすぎない。引退後は政治を好き勝手に批評することでなけなしの金を得ている。上記の「人脈」も、自らが選挙で当選できたからこそ形成可能だったものであり、その陰には無数の支援者の存在があった。
 所詮は、自分および家族の「利権」のために、「元公明党委員長」という肩書きを使ってきただけの人間である。その点では、教団の「元顧問弁護士」という肩書きを利用して生きてきた山崎正友とも共通するものがある。
 公明党の立党の原点は、こんな姿とは正反対のものだったはずである。自らの利益でなく、「大衆の利益」のために“奉仕”する政治家こそが求められてきたはずだからだ。公明党の草創期、対自民党対策という意味では、利権の誘惑や金銭を使った懐柔を受けることはある意味、避けられなかったかもしれない。しかし、それらを「自分のフトコロ」に入れてしまった瞬間、彼らは、その心を売ってしまったといえよう。
 結局は、自分のことしか考えていない「利権政治屋」の姿であり、現在に至るも、矢野絢也は骨の髄まで金銭欲にからめとられてしまった“化け物”の一種にさえ見える。「庶民政党」からこんな人物を出してしまったことは、今後の教訓に満ちている。

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カテゴリー:コラム, 矢野絢也
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