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矢野絢也の素顔  11  自分さえよければ…

2009年2月18日

 ●1968(昭和43)年12月1日〜71(昭和46)年7月5日
 ●1972(昭和47)年7月6日〜74(昭和49)年12月4日

 上記が何を示す期間かお分かりだろうか。(上)は田中角栄が自民党幹事長にいた時期であり、(下)は同氏が自民党総裁の地位にあった期間である。それを踏まえて、以下の時系列の年表をご覧いただきたい。

 昭和47年7月  三重県賢島に300坪以上の別荘を購入
 昭和47年9月  矢野ファミリーが原野商法に暗躍
 昭和48年8月  東大阪市に5600万円の鉄筋3階建ての自宅購入
 昭和49年1月  奈良県生駒市に800平方メートルの土地購入

 いずれも、公明党書記長だった「矢野絢也」が同党議員のなかで一人だけ蓄財を肥やし、問題とされる複数の不動産を取得していた時期である。すべて、田中角栄氏の首相時代に購入されていたことが一目瞭然であろう。このことは何を意味するか。
 自民党の金権政治をつくった「元凶」が、同氏であったことはだれもが知っている。矢野は「オレと田中の間は特別なんだ」と広言してはばからない時期があった。矢野には、官房長官の金庫か、自民党本部の金庫かは別にして、 “野党対策”としてかなりの額が渡っていたと推測される。歳費だけで、上記の不動産を取得することはは絶対にできないことだったからだ。
 昭和42年の初の国会質問で「国会対策費」を追及し、議事録削除の“名誉”を得た矢野絢也書記長は、44年の言論出版問題、さらにそれに続く政教分離宣言をへて、その後完全に狂っていったことがおわかりいただけよう。さらに「原野商法」という名の詐欺商法にも、当時、矢野は間接的に関わっていた。自分さえよければよい…という矢野の政治手法は、その後、公明党を大きな危機に直面させる。だけでなく、そうした日本の政治風土が、現在の財政赤字の“大元”になったと小生は考える。
 金に狂った“ゼニゲバ政治家”の成れの果てが、現在の矢野の姿といえよう。公明党の過去の不幸な歴史であり、乗り越えなければならない事柄である。

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