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矢野絢也の素顔  10  明電工疑惑を藤原行正らのせいにした“卑怯者”

2009年2月17日

 1988年12月、リクルート疑惑とさほど図式の変わらない明電工疑惑で揺らいだ公明党委員長・矢野絢也が当時したことは、責任をすべて他者に“転嫁”することで自己正当化しようとする行動そのものだった。矢野は自宅での2億円授受の疑惑について次のように弁明してみせた。
 「今回の問題の背景には、造反者の藤原行正都議らの姿、仕掛け、いろいろな動きがなんとなく見えている。こうした謀略に負けるわけには断じていかず、屈することなく、決意を新たに挺身する」
 翌年には都議会議員選挙と参議院選挙を控え、公明党は結党以来の“逆風”に追い込まれる。いまから振り返ると、それらは竹入・矢野体制が昭和42年以来20年かけてつくってきた同党最高幹部らの気風であり、その結果責任にほかならなかった。
 このとき、衆議院議員だった大橋敏雄は、「同期のあなたがナゼあれだけの財産を?」と、ごくまっとうな指摘を矢野に対して投げつけている。ある雑誌に大橋はこう書いていた。
 「あなたの場合は、当選してすぐに書記長になったが、もちろん議員歳費は委員長だろうと書記長だろうと一般議員だろうと同じです。むしろ最初から役職者だったから、冠婚葬祭や付き合いで、私より支出は多かったはずです。それだけに自分の家計と比較して、あなたの蓄財ぶりが納得できないのです。他の公明党議員にも、あなたのような資産形成者はいません」
 こうしたまっとうとも思える指摘に対し、矢野は逆に大橋らを“謀略の当事者”であるかのように決めつけ、言い逃れようとした。
 この男が自己の政治行動の責任をとることがまったくできず、他人のせいにする傾向は骨の髄まで徹している。その体質は当時だけでなく、いまに至るまで延々とつづいているわけだ。
 矢野絢也は「現職」の公明党委員長時代に自らの不始末で党を結党以来の危機に落としいれた。その結果、二つの重要選挙で“低迷”する事態を引き起こし、引退後もそれらへの反省の言葉もまったく見られない。時をへだてて「元職」のいまは、さらに確信犯的に“敵対行動”をとっている。根底にある≪本質≫は、責任転嫁の心情ゆえの言動にほかならない。
 政治家とはだれよりもモラルを求められる職業のはずだが、この男ほど“モラルなき政治家”は珍しい。政党トップをつとめた人間が、現職時代とまったく逆のことを主張し、党を攻撃している人間など、ほかの政党を見渡してもどこにも存在しない。
 本質は、人間としてのクズであり、金の奴隷である。たとえ10億の資産があろうと、だれもあの世にはもっていけない。自分の生き様を自分の口で否定し、“恥を上塗り”している哀れな老人である。

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