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矢野絢也の素顔  9  現役時代の「ポーズ裁判」で共通する竹入・矢野

2009年2月16日

 政治家と呼ばれる人々が自分の立場を守るため、あくまで“ポーズ”で訴訟を起こすことはよく目にする光景である。要するに、書かれた記事が「真実」であることを自らは知悉しているにもかかわらず、世間にどう見られるかという観点から、アリバイ的に訴えを起こす場合のことだ。そのため、結果的には「完全敗訴」して傷の上塗りをしたり、途中でこっそりと訴えを取り下げたりする場合が多い。
 最近のものでは、2007年6月に「週刊新潮」に議員宿舎でマッサージ嬢を買春していると指摘された社民党の又市征治前幹事長が新潮社を民事提訴しながら、2年後に請求放棄(取り下げ)したケースや、敗訴事例としては、「週刊現代」に6億円以上の政治資金を使った異常な不動産取得を指摘されて名誉棄損で訴えたものの、 “完全敗訴”した民主党・小沢一郎代表などがいる。公明党委員長を歴任した竹入・矢野も、残念ながら似たような“ポーズ訴訟”を過去に起こしたことがある。
 竹入義勝が息子の東海大医学部への裏口入学を指摘されたのは、「週刊新潮」(昭和51年7月29日号)が最初だった。竹入は発売された翌日の7月23日、発行元の新潮社を民事提訴した。新潮側はさらに“続報”を何度か打ち、結局、竹入は訴えを取り下げる。取り下げは、証人尋問に入って本格的に争う段階の直前に行われたようだ。もともと訴えた当人に自信がないと、そうした行動を起こしやすい。いまその息子は医者になり、医療ミスによる訴訟事例がしばしば報じられている。
 一方の矢野絢也の“ポーズ訴訟”はさらに露骨だった。明電工事件が話題にのぼった88年11月、この件で関連報道を行った東京スポーツ新聞社を民事提訴するとともに、刑事でも告発した。さらに88年12月に朝日新聞に決定的な疑惑を指摘するスクープ記事が掲載されると、翌日には、朝日新聞の代表取締役と編集局長を警視庁に刑事告訴してみせた。だが朝日新聞に対しては翌年3月までに告訴を取り下げ、民事・刑事の双方で訴えていた東京スポーツのほうも、89年5月に委員長職を辞任した後、同年11月に民事で和解し、同様に刑事告訴も取り下げている。結局、なんらの結果も得られないまま、尻尾を巻いて、逃げだしたわけである。
 要するに、口では「無関係」といいながら、厳密な証拠提出が要求される「訴訟」の場では “闘争放棄”した姿にほかならなかった。
 誠実な行動で国民の信頼を得るべき政治家にとって、これらの行動は「恥」以外の何物でもない。

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