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ペテン師・故「山崎正友」が全面敗訴  東京地裁

2009年1月29日

 元弁護士で昨年末に死去した山崎正友が2005年7月、野崎勲氏(故人)が執筆した記事などをめぐり野崎氏の遺族、創価学会、秋谷会長(当時)、池田名誉会長に対し当初総額8000万円の損害賠償を求めていた裁判で、東京地裁(民事32部)は28日午後1時すぎ、原告の訴えをすべて棄却する判決を言い渡した。これにより、虚偽にまみれた山崎の主張は、すべて“排斥”される結果となった。
 対象となったのは聖教新聞社が発行する「創価新報」に2002年に連載された野崎勲氏の筆による記事のほか、それらをまとめた単行本『人間失格・こんな悪い奴はいない』などで、これらの記述内容について山崎はいずれも虚偽であり、名誉棄損にあたると主張して訴えていた。
 同人は2002年から横浜地裁小田原支部にも同様の名誉棄損訴訟を次々に起こしていたが、この裁判はいちばん最後に起されたものだったこともあってか、訴訟を速やかに進行させるために、あえて小田原支部で中心的な争点となっていた巨額手形詐欺などの記述を除外し、(1)宮本宅盗聴事件(2)クルーザー遊覧(3)麻雀賭博(4)不倫問題(5)考える会ビラ発行による闇金疑惑(6)墓苑事業にからむ裏金取得などの記述に絞って審理を進めてきた。最後に起こされた裁判ながら、最初に判決が出たのはそのような事情による。
 最初の証人調べは昨年7月に行われ、峰岸証人、佐貫証人、木村証人、山崎本人が出廷。さらに2回目の証人調べは同年9月に行われ、浜中和道証人と山崎本人が証言した。
 山崎はこの裁判を含めた一連の裁判で、あれも名誉棄損、これも名誉棄損と手当たり次第に訴訟をふっかけ、争点を膨大に膨らませ、その結果、小田原のほうは提訴から6年半がすぎても証人調べに入れないという、通例の名誉棄損訴訟では到底ありえない展開になっていた。そうした“ポーズ訴訟”の一部とはいえ、6項目にもわたった争点がいずれも崩れた(=棄却された)ということは、山崎がいかに虚偽を構えて訴訟を起していたかが白日の下にさらされたことになる。判決内容はそれらの記述すべてが違法性をもつ名誉棄損に当たらないとするもので、記述の正しさが裏づけられた形だ。
 ちなみに途中から原告・山崎の代理人となっていたのが、共産党系法律家団体として法曹界でその名を知らない者はいない「自由法曹団」の中心者・松井繁明弁護士で、同人はこのような詐欺師まがいの人物を擁護してきただけに、同団体は長年の人権闘争の歴史にキズを付けることになった。
 さらに山崎側の証人として出廷した佐貫某は、日蓮正宗・阿部日顕の直属の謀略部隊「妙観講」の構成員の一人で、長年にわたり山崎の“カバン持ち”として動き、96年の信平狂言事件では、山崎の名代としてさまざまに工作をしかけた張本人として知られる人物。いわば詐欺師にいいように使われてきた“手下”であり、それでいて法廷ではさまざまにボロを露呈させ、山崎敗訴の一因となった。
 いずれにせよ、原告の死去後にもかかわらず、山崎の生前の言動の多くのウソが弾劾されたわけであり、死後においても、同人の“ペテン師”ぶりを証明したという意味でも貴重な判決となった。
 私事ながら、裁判長は高部眞規子裁判長で、小生が日本共産党に03年に訴えられ、同党が訴えを取り下げるまでを担当したのと同じ人物であり、個人的には懐かしい思いがした。相変わらず、テキパキと男勝りに、ときに厳しく訴訟指揮をとった結果、なんとか一審判決にたどりついたように見えた。

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