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「読売記者」をたった1年で辞めた矢野絢也ジュニア

2009年1月5日

 矢野家の一人息子として育った矢野絢也には、同じように一人息子がいる。昭和37年10月生まれ。名前を矢野清城(46)といい、一橋大学商学部を卒業後、米国の大学に一年間留学。86年4月に読売新聞社に入社したことはあまり知られていない。入社自体を親の七光りのように書かれたこともあったせいか 群馬県前橋支局に配属されて新人記者のお決まりのコースである「サツまわり」に従事したものの、わずか1年で退社した。
 そんな一人息子も父親の言動を見て育った影響からか、20代前半のころからすでに株取引で巨利を得たといわれ、父親同様の「仕手戦」を演じてきたらしい。2004年にはそれらの資産を海外に移し、家族とともに外国移住したが、単身でしばしば日本に戻ってきては、高級クラブやキャバクラで遊び歩いているとも報じられている。
 だが、これらの「原資」の元をただせば、すべては父親である矢野絢也の26年間におよぶ国会議員生活のおかげ。これらの議員活動を支えたのは、地元大阪の有権者であり、自らの生活をさしおいてでも長年にわたり“手弁当”で支援してきた学会員にほかならない。先日ある政党関係者ら(公明党にあらず)と懇談した際、矢野絢也の行動について、そのうちの一人が次のような感想をもらしていた。
 「組織の日陰に置かれるなど政党の“傍流”にいた人が、怨みがたまるなどして出身政党に敵対行為をはたらくことは行動の流れとして理解できるが、矢野氏のように、政党の代表職という権力者をつとめた人が、いまになって自分の党の悪口をいうのは、まさに天に唾(つば)する行為であり、とうてい理解できない。なぜなら、政治家としての自分の“無能さ”を自らさらけ出しているのと同じであり、例えその場限りの利害で民主党などと連携したとしても、所詮、真の意味での信頼関係で動いているわけでないことも明らかだ。矢野氏の一連の行動は、政党人の立場から見ると不可解そのものに映る」
 他党関係者の率直な意見表明として、ここに付記しておきたい。

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カテゴリー:コラム, 矢野絢也
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