ホーム > コラム, 矢野絢也 > 「矢野絢也」の証人申請をほのめかしていた「山崎正友」

「矢野絢也」の証人申請をほのめかしていた「山崎正友」

2009年1月2日

 2008年9月11日、東京高裁である裁判の口頭弁論が開かれた。北林芳典氏が山崎正友と日新報道を名誉棄損で訴えていた裁判で、一審で山崎ら側が敗訴していた。その控訴審の1回目の口頭弁論の席上である。裁判長が今後の進行方針について双方に確認したとき、山崎はこう答えた。
 「恐喝事件の告訴当時、宮本宅盗聴事件をどう扱うかということを相談した当事者がいます。創価学会を造反した人です。証人か陳述書か、交渉している最中ですので、もう一回だけ期日を入れていただきたいと思います」
 これに対し、北林氏側の代理人が答えた。
 「一審ではすべての主張を終えてくださいとの裁判所の指示で、すべて双方の主張と証拠を出し切った上で判決を受けた経緯があります。(控訴人側の方針は)理解できない」
 こうしたやりとりに、裁判長が口をはさむ。
 「山崎さんにお尋ねします。証人の予定者はどういう人ですか?」
 これに対し、山崎は急に言いよどんだ。
 「ちょっと名前を…。最近、ちょっとお辞めになって、創価学会に対して…」

 裁判長 「名前が言えないなら、事件とどう関わる人か言ってください」
 山  崎 「まだ二つ返事で受けてくれるかどうかわからないので、お会いして直接交渉したいと思っています。性格上、マイペースで仕事をしている人ですから‥」
 裁判長 「いま話題になっている人ですか?」
 山  崎 「はい、へへ」
 裁判長 「気持ちはわかりますが、30年以上前の話で、はっきりしないような証人の話でもあるし、弁論を終結します」

 こうして控訴審は1回のみの口頭弁論で結審したが、この“話題になっている人”が、5月に教団を脱会したばかりの矢野絢也であることは明らかだった。結果的に証人として正式申請されることはなかったが、矢野の存在は、希代のペテン師「山崎正友」によってもこのように≪利用≫されていた。
 “元公明党委員長”の言動が、さまざまな分野に影響を及ぼしたことの一つの証明である。

広告
カテゴリー:コラム, 矢野絢也
%d人のブロガーが「いいね」をつけました。