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“嘘つき男”を使い続ける「講談社」

2008年12月15日

 週刊誌が部数をあげようとさまざまなキャンペーンを張ることはよく知られている。例えば古くは「週刊文春」が1984年1月に始めた≪疑惑の銃弾≫の連載は、捜査機関から逃れていた一人のサイコパス・三浦和義の犯罪行為を追及し、誌面を通してそれと戦った軌跡だった。いまだに同人が無実だと信じている人々が一部に見られるが、刑事事件の判決文を読んでいないか、あるいは読んでいてもそこに記されている自分たちの主張に都合の悪い認定をネグレクトしているだけの思考停止の人々にすぎない。だが同じ「週刊文春」がその4年前に行ったキャンペーンは、逆にサイコパス的人間からメディア側がいいように操られた典型事例だった。
 1980年6月に山崎正友という弁護士(当時)のリークで始まった反創価学会キャンペーンがそれである。つまり、「週刊文春」は一方でサイコパスの犯罪を果敢に暴く実績を残した一方、それ以前には良心の呵責をもたない同じサイコパス的人間に、いいように“利用”された過去をもつ。活字は半永久的に残るものなので、これらは「週刊文春」の歴史においては、負の歴史としかいいようがない。なぜなら裏付けを確認することもなく、サイコパス的人間の発した嘘をそのまま垂れ流すことに加担したからだ。その証拠に、これらの嘘八百の山崎リーク連載は、文藝春秋社から書籍化されることはなかった。告発内容に自信をもてなかった証拠といってもよい。
 同じような意味で現在、売らんがために “歴史の汚点”を残しているように見えるのは、講談社である。「週刊現代」が行った矢野絢也に関する告発がそれで、最新号でも矢野の一方的な主張が取り上げられている。矢野は「人権蹂躙された」などとここでも主張しているが、人権を踏みにじられたのは、同人の政治活動を信じて手弁当で支援をつづけたかつての支援者のほうであろう。
 ≪金銭の奴隷≫と化した同人の不祥事でどれほどの支持者が嫌な思いをしたか。そうした不始末に謝罪もなく、反省の行動も見られない。そうした支援がなければ議員活動をつづけられなかったはずの人間がである。だが、そうした“転落した政治家”であっても、部数を増やしたい週刊誌や出版社にとっては、一時的にせよ、利用のしがいがあるようだ。それらも後になってみると、「負の遺産」でしかなくなるのは、上記の山崎に利用された文藝春秋と同様である。
 矢野は自らの国会手帳をOB議員らに無理やり持ち去られたなどと繰り返しているが、自ら「念書」まで事前に用意して差し出したのは、矢野本人である。
 矢野がその講談社から今年10月に出版した文庫本によると、「彼らが必死になって奪い取ったメモのかなりの部分は、この本に書かれている」とも記述されている。であるなら、OB議員側が無理やり、手帳をもっていくという「理由」を自ら否定しているようなものである。実際は、その時点での矢野は、自ら今後どのような行動をとるか自分でも「自信」が持てず、不用意に支援団体を傷つけるような行動をとらないように自戒し、「謗法払い」と自ら称して、OB議員らに手帳を≪自発的に≫差し出したのが事の真相である。それをいまになって、否定するのは、見苦しいにもほどがある。
 仮にも政党のトップを務めたような経歴の人間が、自分の大事な手帳を強制的にもっていかれるなどという「バカな話」があるはずもない。
 こうした“嘘まみれの男”をいまだに「利用」し、飯の種にしているのが「週刊現代」を発行する講談社である。歴史はこうした裏づけのない「言論活動」を、必ず厳正に裁くものと確信している。

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