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所詮は“徒党”を組まなきゃ何もできない「似非右翼」

2008年11月28日

 先日の集会で取材拒否され、締め出された光景は象徴的であった。瀬戸某と称する男は「不愉快なんだよ~」と変な抑揚のついた言葉を数回繰り返し、わざと大声を発して仲間に小生の存在を知らせると、途端に周りを取り囲まれる格好となった。背中を向けて出口に歩き始めた小生に向かって、瀬戸某は「なめてんじゃねえぞこら」なる“捨てゼリフ”を吐いたことが音声に記録されている。所詮は、大勢で取り囲み、安全であることを確認してからでないと啖呵の一つも切れない御仁であることはこのときよくわかった。つまり、相手の人間のレベルを見切ってしまったから、別にどうという感慨も起きなかった。百聞は一見にしかずである。この種のタイプは、一人になるとからっきし何もできないことが多いので、徒党を組むことでしか存在感を発揮できない。その意味では、哀れな人間といってよい。
 主張することの内容にも、論理的な整合性や緻密な根拠といったものは見られない。中国人に対してなら日本人と違って何をしてもいいというような驕った姿勢、外国人の人権を守ろうと活動する弁護士に対しては「極左弁護士」あるいは取材する人間には「極左ジャーナリスト」というレッテル張り。欠落しているのは、ここでもその前提となる≪事実的根拠≫のようである。東村山問題に首を突っ込んだのも、大教団を脅すことによって、右翼としての存在感を誇示しようとした程度の動機にしか見えない。
 結局、あの「うんこ騒動」は何だったのか。あるいは「警察官の内部告発」はどうなったのか。都合の悪いことには一切答えず、自分の利害にかかわる都合のいいことのみの主張を続けるしか能がない。もともと、「被害者」と「加害者」の区別もつかない人間だから、いかんともしがたいレベルではある。
 こんな人間が「ジャーナリスト」なら、同業者はみな≪迷惑≫極まりなかろう。“思い込み”だけで行動するこの種の人間がのさばると、日本は一層悪くなる。日本社会に巣食う「ダニ」的存在といってよい。

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カテゴリー:コラム, 瀬戸弘幸
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