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「無駄骨」取材で見えたもの

2008年11月17日

 やはり「現場」には足を運んでみるものだ。机上では見えないものがいろいろと見えてくる。昨日の集会に対する個人的な関心は、すでに6件もの名誉棄損裁判で敗訴確定を繰り返してきた「報道失格者」が、かつて処女作として出版した東村山市議転落死事件について、なにをいまさら語るのだろうかという素朴な疑問だった。それ以外の興味はほとんどない。主催者側の排除行動によって会合取材はかなわなかったが、幾つか見えたことがある。
 一つは主催者個人の狭量な態度だ。小生が静かになぜ排除するのか確認している段階で、「集会で聴かれて何かまずいことでもあるのか」と質問した途端、いきなり表情を一変させ、「不愉快なんだよー」と繰り返し、逆上していった姿である。最後は仲間たちに異分子(あるいは彼らにとっての敵)がいることをわざと知らせるかのように一層声を張り上げ、「創価学会(員)が来たら不愉快なんだよー」と叫んだため、周りの者たちが視線を集中し、さらには数人がさまざまに罵声を浴びせながら集まり始めた。小生はあたかも「野犬の群れ」に遭遇する格好となり、身の危険を感じたので、その時点で出て行ったのだが、その背中に対して主催者らが喧嘩腰で浴びせた怒声が「なめてんじゃねえぞこら」であり、この言葉はけっして面と向かって相(あい)対する形で放たれた言葉でもない。
 この男は、最初はいかにも紳士然として語りかけてきたものの、都合が悪くなるといきなり態度を豹変させ、さらには罵声を浴びせて、追い立てた。「取材者」として肌で感じ取ったことは、この男には「恐れ」があるという確たる事実だ。そうでなければこのような狭量な態度になるはずもない。むしろ「寛容」な人間であればあるほど、最初に名刺交換するなり、「今日は足を運んでいただき有り難うございます。せっかくですから、何か発言もなさってください」などと誘って、主催者として会合を盛り上げることに工夫するのがいわゆる≪できたタイプ≫の人間というものであろう。
 所詮、まともに論戦しても勝ち目はないといった「恐れ」あるいは「自信のなさ」を内面に抱いているからこそ、このような態度にしかならないわけで、この男の「本質」を垣間見たような気がしたのである。
 犬好きの私に言わせれば、この男は白い小型犬のスピッツのようなものだ。見た目はブルドッグや土佐犬に近い気もするが(失礼)、実体は臆病なので、キャンキャンキャンキャンと盛んに吼える。本質は、秋田犬でも、土佐犬でも、さらにはシェパードでも、ドーべルマンでもない。単に「虚勢」をはっているだけだから、だれが置いたかわかりもしないウンコ程度で警察を出動させ、大騒ぎしている。
 こんな人物に頼っている“お仲間”の東村山市議会議員=「矢野穂積」「朝木直子」なども、お里が知れるというものであろう。さらにこの問題では“便利屋的存在”にすぎない乙骨某も同様である。
 しかし今回の主催者ほど、自らの「言葉」と自らの「行動」が≪正反対≫の人間も珍しい。この種の「言行不一致」型の人間はけっして信用できるものではない。そのことだけははっきりしている。

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