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“さもしい政治屋”にすぎない民主「石井一」

2008年10月15日

 1996年の初の小選挙区制における選挙以来、4回の総選挙に立候補し(うち3回当選)、現在、参院議員に鞍替えして“6年間の安泰”を得た民主党副代表の「石井一」の地元選挙区は兵庫1区だった。区割りでいうと、神戸市の中央区、灘区、東灘区にあたる。このうち、灘区の県会議員選挙(定数2)に、自身の身内(=おい)である石井健一郎を初出馬させたのは、99年のことである。このときわずか30歳の新人候補だったせいか、8100票しか取れず、次々点で落選した。さらに石井は、同じ1区内の中央区、東灘区にも民主党所属の県会議員を誕生させることはできなかった。
 次の2003年の統一地方選挙では、石井健一郎は再び灘区から県会議員選挙に立候補した。このとき、1万1000票余でようやく“下位当選”を果たすことができた。同人の経歴は、衆議院議員石井一の公設秘書や政策秘書をつとめ、自治大臣のころは大臣秘書官もつとめたいわば石井の「懐刀」であった。その健一郎が再起をかけた2003年4月の県議会選挙。灘区の県会には、公明党の候補者はいない。そのため、公明票がどこに流れるかが注目されていた。このとき民主党所属の衆議院議員だった石井一は支援依頼のために、公明党の市議候補者(灘区)の事務所に何度か足を運んだという。
 前回落選したものの、自身の“手足”となるべき県会議員「石井健一郎」はこうして誕生したのである。いわば灘区の創価学会員のおかげで、当選できたといっても過言ではなかった。
 ところが石井一は、それからわずか半年後の同年11月の総選挙で、突然学会攻撃を始めることになる。そうした言動をまじかに見てきた学会関係者は、同人に愛想を尽かすことになったようだ。この選挙で石井は、小選挙区で初めて落選し、比例でかろうじて復活当選するといった有り様だった。さらに次の05年の郵政選挙で、ついに「落選」の憂き目に遭う。
 都合がいいときは、創価学会・公明党に「支援」を依頼し、当選させてもらいながら、それが相手方に回るとなるや口汚く攻撃し、罵り始める。これが石井一という政治家の正体にほかならない。人間としての「信義」のカケラすら存在しない、要するに自分のことしか考えていないタイプにすぎない。こんな男が、民主党の副代表を務めている。日本の政治レベルがうかがい知れるというものであろう。
 その政治家は、本日付の朝日新聞(アサヒコム)によると、いま問題となっているマルチ商法の政治団体から07年に50万円の献金を受け取っていたことが明らかになった。

 ●小沢民主党のアキレス腱「前田雄吉」問題
 【アサヒコム】 http://www.asahi.com/national/update/1014/NGY200810140013.html
 【共同通信】 http://www.toonippo.co.jp/news_kyo/news/20081014010007221.asp
 【時事通信】 http://www.jiji.com/jc/c?g=pol&k=2008101400801

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