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「肝いり採用」の部下を“過労死”に追いやった「田中康夫」

2008年9月23日

 現在、新党日本の代表をつとめる田中康夫・参議院議員が長野県知事に初当選したときのブームはすさまじかった。ガラス張りの知事室、車座集会、「脱ダム」宣言、脱記者クラブ宣言などが話題を呼んだ。2000年のことである。同氏に関する書物はすでに10冊以上出ているようだが、そのころ出た本はいわゆる“提灯本”が多い。このほど『検証 田中康夫』(小野和人著、2007年)を読んだ。おそらく一番最近に出た本だが、この本は“告発本”だ。副題は、「田中康夫は、もういらない」――。
 告発の核心は、田中氏が長野県知事に就任後、県職員の部課長級に採用するための民間人を新規に全国公募した際、採用した10人のうちの一人、「今橋里枝」という女性(当時43歳)の過労死についてである。この女性は津田塾大を卒業後、外資系のチョコレート会社(東京)でマーケティング担当のキャリアウーマンだったが、県が初めて実施した任期付き職員(任期4年)に応募し、2000年4月に採用された。いわゆる当初は、小泉チルドレンならぬ、田中チルドレンともいうべき存在であった。
 田中知事がつくった肝いりの組織「経営戦略局」に配置されるなど活躍した女性だったようだが、先の書物によると、「次の選挙で対抗馬になる可能性すらある有能な女性」で、「自分以外に優秀な人材が現れると大人気なくヤキモチを焼き、すぐに左遷してしまう」という田中氏は05年4月、この女性を王滝村(木曽郡)という地方自治体に “左遷”してしまう。ところが知事の意に反して、この女性はここでも実力を発揮した。「赤カブ」などの特産品に着目して、村おこしの流れをつくってしまう。仕事熱心だったのか、女性は東京にあった自宅を売り払ってまで、この村に住みつこうとした。
 だが、そんな矢先の06年4月、今度は東京事務所への転勤を突然命じられる。東京の自宅を売り払って村に骨を埋めようとしたタイミングでの、突然の人事異動だったという。「今月中に50社回れ」との指令を受け、企業誘致のための慣れない会社回りの仕事に専念。そうしたノルマをこなす最中の5月7日午前、東京・練馬区の自宅で心不全によって急死した。享年45。もともと心臓が強くなく、不整脈の持病をもっていたようだ。
 田中知事時代、こうした能力や適性を無視した職場への配置転換は日常茶飯事で、公務員の通常の異動の時期と関係なくそれは行われたようだ。現に私の友人にも「被害者」がいる。
 この事件は当時、県議会で問題となり、田中氏は責任を問われる事態となった。そんなこともあってか、同年行われた県知事選では対抗馬に破れ、落選。パフォーマンス政治が地元県民に見透かされる結果となった。「虚像」と「実像」が同居しているのが政治家だろうが、それでも全国レベルでメッキが剥がれ落ちているわけではない。いまは新党日本の代表として、民主党と連携しつつ、衆院に鞍替えする意向を漏らしているらしい。おそらく東京ブロック内の小選挙区か、比例で出馬するのだろう。

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