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「矢野穂積」の“責任逃れ”に協力する「おバカな右翼」

2008年9月17日

 東村山市議転落死のデマ事件で、矢野穂積に利用された最右翼は、乙骨某であることは論を待たない。矢野にとっては、肉片(情報)を放り投げてやれば、喜んで飛びついてくるような相手だったので、いとも簡単に取り込むことができた。乙骨は矢野の主張する教団謀略説を雑誌記事だけでなく、単行本まで刊行して“宣伝”してみせた。この乙骨が本来的に「報道失格者」であることは、すでに多くの人が知っている。だが、この乙骨某の後に出てきた瀬戸なる右翼は、さらにこのレベルを相当に下回る(その意味では、2人の呼称を釣り合わせるために、今後は「瀬戸某」と表記することにする)。
 “煽動者”として知られる「矢野穂積」が、女性市議を自殺に追い込んだとの責任追及から逃れるために、その罪を教団になすりつけたのがこの事件の真相といってよい。矢野の思惑が成功したのは、それなりの時代背景もある。例えば、米国でかつて上院議員マッカーシーのなした「煽動」は、米ソの東西冷戦が始まってまもなくの時期だったからこそ、成功の余地があった。国務省にソ連のスパイが数百人いる、そのリストを私は持っていると叫べば、社会的に一大センセーショナルにはじける素地があったからだ。その意味では、この東村山事件も同様である。
 当時、自社さ連立政権が、政敵の新進党の有力支援団体であった教団を攻撃するために、宗教法人法改正問題をしかける矢先であった。
 なるほど、矢野穂積という「人格特性」は、世間の風を読む能力には長けていたようだ。だれに“責任転嫁”すればマスコミは即座に飛びつくか、もっとも有効に作用するか、本能的に見抜いていた。そのため、いまだ真相も判明していない事件直後から、「殺された」と自ら叫び始めたのである。
 この事件に関するルポで歴史的名著として残ると思われる宇留嶋瑞郎著『民主主義汚染』(1998年)には、「転落死と空白の2時間」という章がもうけられている。矢野穂積が、東村山署に「朝木が行方不明状態だ」と電話したと当初“主張”していた時刻(=22時40分)と、実際に警察にかかっていた時間(=0時30分)に2時間の空白があるという指摘である。宇留嶋氏は結論的にこう書いている。
 「矢野が万引きのアリバイ工作に深くかかわり、それが最終的に明代の死につながったことを矢野は強く意識していた――。おそらく、矢野はそれをさとられることを最もおそれた」(P163)
 付け加えると、あの大の“訴訟マニア”で知られる矢野穂積が、この単行本を名誉毀損で訴えた「事実」はもとより存在しない。結局、矢野は自分の「責任逃れ」のために、口から出まかせの法螺話を吹いたにすぎなかった。それが当時、複数の週刊誌に波及したものの、その後、いずれも司法によってデマと断罪された。事件後すでに13年がすぎるが、当然ながら、教団が事件発生に関与した直接証拠などどこにもない。それ以前に、「他殺」であることを裏づける直接証拠すら、全く存在しない。
 いまだに荒唐無稽な謀殺説を叫ぶ者たちは、どちらとも判断のつかない間接証拠によるだけであり、「空想」と「こじつけ」で“拡大解釈”して自説を展開しているにすぎない。
 自らの“責任逃れ”のために卑劣な行動をとった「国賊」ともいえる矢野穂積について、本来「天誅」を加えるべき者たちが、なぜか逆に矢野の振る舞いを持ち上げ、矢野の“責任隠し”に熱心に≪協力≫している。ネズミを追わなくなったネコ、共産党を持ち上げる右翼と同様に、変な連中が横行する社会だ。矢野自身の言葉を借りれば、「おバカ」な人たちということになろうか。

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