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最後まで「データ原稿」を隠し続ける「講談社」

2008年9月8日

 矢野絢也が関与し、リークしたと見られている「週刊現代」の第1記事(2005年8月6日号)のタイトルは、「創価学会&公明党のタブー『矢野絢也元公明党委員長極秘メモ』100冊が持ち去られた!」というものだった。手帳を預かった元国会議員3人は、「強要した事実は一切なく、被告矢野が自ら進んで原告に渡したものであり、本件記事は全くの虚偽である」と主張して名誉毀損で訴え、昨年12月の東京地裁の一審判決はその主張のほとんどを認める結果となった。だが唯一認められなかったのが、第1記事は矢野絢也がリークしたものとの原告側の一貫した主張である。そのため、その点を不服として原告側も控訴するに至ったのだが、控訴審において証人として出廷した「週刊現代」の藤田康雄・副編集長(当時)は7月2日、概要次のように証言した。箇条書きふうにまとめてみる。
 ○第1記事、第2記事とも取材に関わった記者は同じメンバーであり、K、N、M、Sの4人である(証言時は実名)。アンカー(執筆者)は自分が務めた。
 ○第1記事は編集部内のプラン会議にはかけず、編集長と直接打ち合わせをして進行した。最初に打ち合わせをしたのは7月10日と記憶している。
 ○記事中にある「元公明党幹部X氏」とは、7月10日に面会して取材した。会ったのは私である。
 ○矢野絢也には取材依頼をしたが、取材を断られた。
 この日の証言で藤田証人は、記事作成におけるデータ原稿はいまも残っており、いずれも講談社の代理人に渡してあること、さらに第1記事の取材依頼に際して矢野宅に送信したファックス文書なども現存していることなどを法廷で証言した。
 一審原告は、この藤田証人の証言に基づき、講談社側に、ファックス文書やデータ原稿の提出を求めてきたが、講談社側代理人は法廷において、それらの文書が手元に存在するかどうかさえ明らかにしないという、異常なまでの頑なな態度を取り続けている。
 小生もさまざまな名誉毀損裁判に接してきたつもりだが、この裁判における講談社側の対応のように、真実性が崩れているにもかかわらず、真実相当性の立証を自ら≪放棄≫し、記事執筆者が代理人に渡したと証言した文書さえ、その存在を隠し続けるといった態度は異常極まりないものに映る。
 いずれも、第1記事のリーク元が矢野絢也本人であることがバレてしまうことを避けるための措置としか考えられない。もし仮にそうなれば、矢野の主張の“正当性”は、根本から失われてしまうからだ。

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